コリア・タウン
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コリア・タウン(Koreatown、코리아타운)は世界各地に散在する韓国・朝鮮系住民の集住地である。アメリカ合衆国、中華人民共和国、日本が中心で、カナダにも増え始めている。
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[編集] アメリカ合衆国
- 韓国系アメリカ人も参照
韓国から米国への移民は1903年に始まったが、1965年に同盟国・大韓民国からの大量移民が認められてから移民数が激増した。現在の在米韓人数は約200万人に達する。国外最大の韓人居住国である。
- カリフォルニア州ロサンゼルス ウィルシャー(Wilshire)地区は、米国最大のコリア・タウンとして知られる。ウィルシャー地区の東側にはダウンタウン、北側にはハリウッド、西側にはビバリーヒルズ、南側にはサウスセントラル(インナーシティ化している)がある。1960年代から韓人が増え始め、1980年代にコリア・タウンとして繁栄を極めた。1992年のロサンゼルス暴動では多数の韓国系商店が略奪を受けた。これは、サウスセントラルの暴動が波及したためである。この他、ロス郊外には中産階級の韓人が集住する地区が数ヶ所ある。
- ニューヨーク州ニューヨーク市 近年マンハッタン32番街に韓国系企業やレストランが多数出現しコリア・タウンとなった。ただし、韓国人居住者が多いのはクイーンズ地区である。小売や飲食店などの自営業に就く人口と専門職エリートとは棲み分けがある。
- ニュージャージー州バーゲン郡 ニューヨーク近郊に位置し、韓国系移民の居住者が多い。
[編集] 中華人民共和国
- 中国朝鮮族も参照
中国東北部の朝鮮国境地帯には、李氏朝鮮時代から朝鮮農民が入り込み、日本統治時代に規模が拡大した。現在200万人近くの朝鮮族(中国国籍)が住む。
中国朝鮮族の中心地は吉林省延辺朝鮮族自治州延吉であり、ほかにも州内に琿春などの朝鮮族人口が漢族人口を上回る都市が多い。
1990年代以降、中韓修交により韓国人のビジネスマンや留学生が大量に中国へ渡り、これらの人々を中心にして新しいコリア・タウンが中国各地に形成されている。比較的歴史が古く規模も大きなものとしては、瀋陽の西塔が名高い。他に北京の望京、上海の龍柏、長春の桂林路、丹東の三馬路などがある。
[編集] 日本
- 在日韓国人・在日朝鮮人も参照
朝鮮半島の日本統治時代に、経済的理由などにより日本へ移住した人たちの他、日本統治に積極的に参加した者も、戦後すぐに政治的な理由で日本に逃れ住んだとされる。日本に根を下ろして生活しているこれらの子孫を含めた「在日コリアン」(特別永住者)の数は46.6万人。既に日本国籍を取得した者(コリア系日本人)や、これらの子孫も含めれば、その数は約200万にものぼる。国籍は韓国籍と朝鮮籍との間で変更可能のため、現在は韓国籍が多い。
1983年に中曽根康弘総理大臣(当時)が、「21世紀初頭までに留学生の受け入れ数を10万人とする」とした政策目標を発表した。政策実現にはビザの緩和政策が含まれ、結果としてパートタイム労働における外国人労働者の市場解放がなされた。そのため、経済格差のある韓国からも多数の留学生が日本にやってきた。この政策以降、新たに日本に来た在留韓国人のことを「ニューカマー」というようになったが、特にバブル経済期以降に来たものを言う場合もある。また、毎年170万人を越える日本への韓国人入国者の内、一定の割合が出稼ぎ化しているものと見られ、さらに、日本海沿岸地域の港湾部、特に定期航路(旅客・貨客)がある下関港や博多港を抱える福北大都市圏では半定住化している例もあり、短期在留傾向の強いニューカマーの実態はつかみづらい。長期在留のニューカマーは、きちんとした在留資格を持つ者がほとんどであるが、在留期限の切れた違法状態(オーバーステイ)の者もある程度存在するため、こちらも実態をつかむのは困難である。統計的には、韓国・朝鮮系の一般永住者が約4.3万人(2004年)となっている。これらニューカマーたちは日本統治時代の政策とは関係がなく、戦後の韓国の教育を受けているために在日コリアンとの間に考え方や文化の差があり、外国にいる日系三世と在留邦人との関係に似て溝がある。
[編集] 関東
関東、とりわけ東京にはニューカマーの数が多いため、ニューカマーのみでコリア・タウンを成立させることが出来る。そのため、在日コリアンによるコリア・タウン、在日とニューカマーの混在型コリア・タウン、ニューカマーが主なコリア・タウンなど、コリア・タウンの形態は様々である。
- 東京都新宿区:戦後、いわゆる「ニューカマー」により形成されたコリア・タウンで、大久保に在る通称「職安通り」では沢山の韓国系商店が軒を連ねている。2002年の公式統計によれば、東京都在住のコリア系人口は約8万人で大阪府に次いで2番目に多い。
- 東京都台東区:上野駅の南東と南西には、それぞれ小規模なコリア地区がある。上野駅南東の東上野には、「キムチ横丁」(親善マーケット)と呼ばれる韓国系の飲食店や商店が集まる通りがある。ここは、戦前からの在日コリアンの集住地区である。一方、上野駅南西の歓楽街「仲町通り」のあるブロック(上野二丁目)の中ほどには、韓国系飲み屋が集中している路地がある。こちらはニューカマーによってつくられたものである。キムチ横丁の在日コリアンと仲町通りのニューカマーとの間では、近接しているにも関わらずあまり交流がない。
[編集] 近畿
在日コリアンが多く住むため、コリア・タウンは在日によって作られていることが多い。在日コリアンの勢力が強いため、ニューカマーは、コリア・タウンの在日の人たちの店で下働きする例が多く見られる。
- 大阪市生野区:戦前からのコリア系住民の集住地で、大阪市には生野区西部地域を中心に現在も約9万人以上が居住し、日本最大のコリア・タウンを形成している。近鉄・大阪環状線の鶴橋駅周辺には、韓国・朝鮮系の商店が大規模な市場をなしており、鶴橋駅周辺は済州島出身者・もしくはその子孫が多い。また、生野区コリア・タウンの中心部は旧猪飼野地区で、朝鮮式楼門を備えた御幸通商店街が異彩を放つ。大阪市立御幸森小学校はコリア系児童の比率が日本人児童を超えている。また、鶴橋・猪飼野という旧来のコリア・タウンの周縁も、コリア・タウン化が見られ、旧遊廓の今里新地地区は新大久保に似た新興コリア・タウンと化しつつある。直接の関係はないが、百済という地名もあり、太古より帰化人系住民の多かったことが偲ばれる。他に隣接する東成区や浪速区などにもコリア系住民が多い。
- 兵庫県神戸市:長田区や中央区東部(旧葺合区)、灘区にもコリア系の住民や店が多い地区がある。兵庫県では尼崎市や姫路市にもコリア系住民が多い。長田区は、全国有数の焼肉店激戦地区で、本場韓国の味を再現した店も多い。一時期、長田区にコリア・タウンを神戸市の手で作る計画が存在したが、現在は頓挫したものと思われる。
[編集] 山口・九州
戦前において、山口県の下関港は関釜連絡船(現在の関釜フェリーの起源)が就航していたところであって、また、福岡県の筑豊炭田では多くの在日コリアンが労働に従事していた。終戦を迎えたとき、下関港や博多港は在日コリアン送還の主要な出発港となったが、様々な原因によって在日コリアンが帰還できない・しない事態が発生したため、山口県や福岡県に多くの在日コリアンが滞留することとなった。現在では、福岡空港、博多港、下関港に韓国定期便があり、空路・海路を通じて沢山の韓国人が降り立っている。以上のような背景から、山口・九州に在日コリアン、ニューカマー、韓国人観光客の三者が入り乱れることとなり、コリア・タウンの定義が難しい地域となっている。宿泊設備の整ったハウステンボスなどの韓国人観光客が多い観光地では、いつでも沢山の韓国人がいるような状況になっており、文化的にコリア化していないが韓国語が飛び交う「擬似コリア・タウン」となっている。
- 山口県下関市:下関駅北側一帯に多数の在日コリアンまたはコリア系日本人が居住する。下関駅の北向かい側のグリーンモール商店街には在日コリアンが経営する商店が並び、毎年11月23日に「リトル釜山フェスタ」が開催されている。
[編集] その他
[編集] カナダ
カナダ政府は1967年に移民政策を緩和したため、韓国系移民が流入しはじめた。ただ1997年の香港返還前後に流入した中国系移民に比べるとそれほど多くはない。
- オンタリオ州トロント カナダ最大の韓国人居住区で、大トロント圏に約15,000人が住む。ブロア通り(Bloor Street)沿いに韓国系住民向けの商店街があり、リトル・コリアとも呼ばれる。2002年のワールドカップで韓国チームが4強に進出したときは交通渋滞が起るほどの熱狂振りであった。
- ブリティッシュコロンビア州バンクーバー 中国系移民が多いことで有名な町だが、市内のノース・ロード沿いに比較的大きな韓国系商店街がある。