グレナード・P・リプスコム (SSN-685)
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艦歴 | |
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発注: | 1968年12月16日 |
起工: | 1971年6月5日 |
進水: | 1973年8月4日 |
就役: | 1974年12月21日 |
その後: | submarine recycling |
除籍: | 1990年7月11日 |
性能諸元 | |
排水量: | 水上5,813トン, 水中6,480トン |
全長: | 365 ft (111 m) |
全幅: | 32 ft (9.8 m) |
喫水: | |
機関: | S5W reactor |
最大速: | 水上18ノット (33 km/h), 水中23ノット (43 km/h) |
最大深: | 1,300 ft (400 m) |
乗員: | 士官12名, 兵員109名 |
兵装: | 21インチ (533 mm) 魚雷発射管4基 |
グレナード・P・リプスコム(USS Glenard P. Lipscomb, SSN-685)は、アメリカ海軍の原子力潜水艦。艦籍番号はSSN-685。
目次 |
[編集] 概要
グレナード・P・リプスコムは、アメリカ海軍の潜水艦としてはタリビーに次いで2番目に、原子力ターボ・エレクトリック方式を採用した潜水艦(TEDS: Turbin Electric Drive Submarine)である。
現在の原潜で主流の原子力ギアード・タービン方式では、原子炉の2次冷却系統から得られた高圧蒸気によって蒸気タービンを回し、減速ギア・ボックスによって回転数を減速・調整してプロペラシャフトに伝え、スクリューを回して推進力を得ている。しかし、減速ギア・ボックスの複雑な機構と多くのギアの動作は、原潜にとって最大の騒音源(したがって弱点)となる。ターボ・エレクトリック方式では、2次冷却系統の高圧蒸気によってタービン発電機を回し、得られた電力で電動モーターとこれに直結されたプロペラシャフトを回して推進力を得ている。すなわち、ギア・ボックスを廃止することによる静粛化のほか、ギアード・タービン方式よりもシャフト回転数の微妙な調整が可能になることによる操艦の柔軟性が期待できるのである。
しかし、これらの利点があるにせよ、ターボ・エレクトリック方式は、電機系の増設とそれに伴う重量増大を引き受けなければならないほか、ギアード・タービン方式に比べて効率が劣るせいで速力が低下するという問題があるため、旧ソ連時代の一部の潜水艦やフランス海軍の原子力潜水艦を除けば、ほとんど採用されていない。実際、本艦の建造にあたってはスタージョン級の設計が大幅に流用されたが、排水量で20%強、全長で約30mも大型化し、ただでもパワー不足が指摘されつつあったS5W原子炉をもとにしたパワープラントを装備した本艦は、速力においてもスタージョン級に劣るものとなってしまった。
上記のような問題点に加え、複雑な機構の信頼性が不安視されたこと、ターボ・エレクトリック方式の動力プラントが生産性に欠けることなどから、本艦は1985年には事実上の退役(活動停止)に追い込まれた。ほぼ同時期に、原潜の静粛化の試みとして取り組まれた兄弟分のナーワル(1969年就役)からの技術的知見が後に生かされたのとは、まったく対照的な道筋をたどったのである。
なお、本艦の命名の由来となったグレナード・ポール・リプスコム(en:Glenard P. Lipscomb, 1915 - 1970年)は、アメリカの下院議員。
[編集] 履歴
本艦の建造は、1971年6月5日、コネチカット州グロトンのエレクトリック・ボート社で開始された。1973年8月4日に進水、翌1974年12月21日に就役した。1990年7月11日に退役し、1997年12月1日に解体された。
[編集] 要目
- 種別:攻撃型原子力潜水艦
- 1番艦就役:1974年
- 全長:111.2m
- 全幅:9.6m
- 排水量(水上/水中):5,813t/6,480t
- 予備浮力:11.5%
- 機関:原子力ターボ・エレクトリック方式 ―― WEC S5Wa 加圧水型原子炉×1基/7翼ハイスキュード・スクリュー×1軸
- 出力:12,500SHP
- 電池:ガピーIC型×126個1群
- 速力(水上/水中):18kt/23kt
- 乗員:121名
- 安全潜入深度:396m
- 兵装:533mm水圧式魚雷発射管×4 ―― 魚雷・ミサイル×23
- ソナー:BQQ-2B(アクティヴ/パッシヴBQS-6B、パッシヴBQR-7、氷海行動/機雷探知BQS-8)、BQG-3 PUFFS、WLR-9A
- 水中射撃指揮装置:Mk113 Mod8
- レーダー・ESM機材:BPS-15、BRD-6、WLR-4