カート・コバーン
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カート・コバーン -Kurt Cobain、本名カート・ドナルド・コベイン - 注:「コバーン」は日本でのみ通用する間違った読み - (Kurt Donald Cobain, 1967年2月20日 - 1994年4月5日)は、アメリカ合衆国ワシントン州アバディーン出身の歌手、ギタリスト。ワシントン州シアトルの伝説的グランジ/オルタナティブ・ロックバンド、ニルヴァーナ (Nirvana) でボーカルとリードギターを担当し、グランジの金字塔的アルバム『ネヴァーマインド-Nevermind』の成功で一躍ロック・スターの仲間入りを果たすものの、自身の本来の姿とロック・スター的イメージとのギャップに葛藤、ドラッグと精神病に悩まされた上、1994年自宅にてショットガンで頭を撃ち抜いて自殺する。享年27。これはブライアン・ジョーンズやジミ・ヘンドリックス、ロバート・ジョンソン、ドアーズのジム・モリスンや、ジャニス・ジョップリンが亡くなった年齢と一緒であり、カートの母は「あの子は愚か者のクラブに仲間入りしてしまった」と嘆いたという。(ジンクス参照)
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[編集] 経歴
[編集] ニルヴァーナ以前
1967年2月20日、自動車整備工ドナルド(ドン)・コベイン、ウェイトレスのウェンディ・フレイデンバーグ夫妻の間に誕生。ビートルズが大好きな少年だったという。1975年に夫妻が離婚するまで幸せな少年時代を送るが、その後両親は離婚し少年時代のカートに大きな衝撃を与えた。カートはその後も父親に棄てられたという感覚を拭い去ることが出来なかったという。その影響からかカートは内向的で、引きこもりがちな少年となる。
離婚後、最初は父の元へ引き取られ、トレーラーハウスの中で、ブラックサバス、レッドツェッペリン等を聞いていて、また、その音楽が自身の音楽に強く影響を与えた、と後に何度もインタヴューで語っている。
学校では友達を作らず、主にチャールズ・ブコウスキー等のビートニクの作家の作品を図書館で借り、それを読んで過ごしていたらしい。その中でウィリアム・バロウズの裸のランチと出会い、後の人生、歌詞、両面において強い影響を受ける。彼とは晩年、対談、バロウズのポエトリーディングとカートのフィードバックギターによる競演、それのCD化を果たしている。
ハイスクール在学中、パンクバンド、メルヴィンズ-The Melvinsのリーダー、バズ・オズボーンと出会う。バズ・オズボーンから貰ったテープ(ブラック・フラッグ-black flag、ミリオンズ・オブ・デッド・コップス-MDC]]、フリッパー-flipper等が入っていた。その中の、ブラックフラッグによるダメージドII、フリッパーによるサクリファイスに強く衝撃を受けた、と後のインタヴューで語っている)を聞きパンク・ロックに強く衝撃を受けた、と後のインタヴューで語っている)を聞きパンク・ロックに興味を抱き、音楽を始める。最初のギターは14歳の時に質屋で買ったもので、当初はAC/DC、レッドツェッペリンなどを練習していた。
同時期にクリス・ノヴォセリックと出会い、音楽の趣味、周囲への不満など、意気投合、一年後バンド結成にいたる(一年という期間が空いたのは、カート・コバーンがクリス・ノヴォセリックに渡したデモテープをなかなか聴かなかったため、と後のインタヴューでクリスが語っている)。バンドは、フィーカル・マター、ペン・キャップ・チュー、テッド・アルフレッド等に名前を変え、最終的にニルヴァーナ-nirvanaに落ち着く。これが後のニルヴァーナである。
[編集] ニルヴァーナ結成~『ネヴァーマインド』
高校のクラスメイトの音楽的才能は決してカートのそれと見合うものではなく、時にそれが彼を大いに苛立たせた。また、彼が演奏したかったのはパンク・ロックであったのに対し、周囲の人間は未だ80年代ハードロックの呪縛から抜け出せずにいたことも、彼にとって大いには気に入らない点であった。そんな苛立ちからか次第に周囲との折り合いが悪くなり高校をドロップアウト。そんな中、カートは同じくパンク・ロックを愛好するクリス・ノヴォセリックと出会う。当初クリスはカートとバンドを組むことを渋ったが、カートの前バンドFecal Matterのデモ・テープを聴き、バンドを組むことを了承し、新バンド名は「ニルヴァーナ-Nirvana」(=涅槃)と決まった。ドラムにチャド・チャニング-Chad Channingを迎えて1989年、インディーズ1stアルバム『ブリーチ』がサブ・ポップレーベルでレコーディングされ、カートはチャドのドラミングを気に入らず彼を解雇する。その後幾つかの変遷を経て、デイブ・グロール-Dave Grohlをドラマーに迎え、1991年にメジャー1stアルバム『ネヴァーマインド-Nevermind』が録音された。
[編集] 商業的成功と精神的苦境
1991年の『ネヴァーマインド』発売はまさに当時のアメリカ音楽界にとって衝撃であった。『ネヴァーマインド』は80年代へヴィーメタルの栄光に終止符を打ち、一夜にして「グランジ」が新たなアメリカ音楽界のトレンドとなった。ニルヴァーナを筆頭に、パール・ジャムやサウンドガーデンなどのグランジバンドは新たな若者達のヒーローとして祭り上げられ、シアトルは急激にアメリカでもっとも「ホットな」都市となった。
この様に彼らの1stアルバムは大成功を収めたが、カートは『ネヴァーマインド』の成功に葛藤を感じていた。もともとアンダーグラウンドなシーンをルーツとするカートは、この大成功によって自身の信念を結果的に裏切ってしまったように感じていたし、メディアの伝える彼の姿と自分の本来の姿との乖離に大きな戸惑いを感じてもいた。また、カート自身『ネヴァー・マインド』製作の際、ある程度メジャー市場を意識して曲作りを行ったため、自分自身にも強い憤りを感じていた。そのため、プロデューサーにスティーヴ・アルビニを迎え制作されたアルバム『イン・ユーテロ』は前作のメジャー志向からアンダーグラウンド志向へと回帰したものとなったが、賛否両論のアルバムとなる。その後も自身のイメージや思い通りに曲が作れない苛立ち、また、少年時代からのうつ病、更にはドラッグ依存症と悪戦苦闘。1994年、自ら命を絶った。享年27であった。遺書にはニール・ヤングの「ヘイ・ヘイ・マイ・マイ」の歌詞の一部「It's better to burn out than to fade away」(衰え消えて行くより今燃え尽きる方がいい)が引用されている。
[編集] 後進への影響
アルバム『ネヴァーマインド』(1991)の成功後も音楽業界の商業主義やマスメディアの誇張報道などに反発し、社会に求められた偶像としてではなく、ありのままの自分を常に表現するスタンスを保ち続けた姿勢は、「グランジの精神」として後進に強い影響を与えた。「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット (Smells Like Teen Spirit, 1991)」の爆発的ヒットによりバンドは一気に有名になり、1990年代以降のロックに絶大な影響を与え、しばしばオルタナティブ・ミュージックシーンにおいて『ニルヴァーナ以降』という言い方をされる。グランジのパイオニアとも言えるが、自身は双極性障害と薬物により苦しむ。また、ファッションでも後進に大きな影響を与えており、カートの死んだ後、彼が穿いていたボロボロになったジーンズに古着のネルシャツ・緑のカーディガンなどはグランジ(薄汚れた)と呼ばれる新しいファッションの定義として生まれた。彼の着ていた「グランジ・イズ・デッド」と書かれたTシャツや、ダニエルジョンストンのイラストがプリントされたTシャツ等は、彼が着ていたということで有名になる。
[編集] 暗殺説
カート・コバーンの死について、自殺ではなく実は暗殺されたと言う説もある。この話の発端は、カートが行方不明になった時コートニー・ラブに雇われた私立探偵トム・グラントが主張したことに始まる。トム・グラントによると、妻であるコートニー・ラブと子守りアシスタントのマイケル・デウィットがカートを暗殺したと言う事である。
コートニーの動機としては、金銭的な問題だと指摘されている。当時、コートニーはカートと離婚調停中であり、もしカートと離婚することになれば何億ドルという資産が失われることになる。実際にコートニーはこの事に言及しており、その内容はテープに残っている。また、カートが失踪する前、ローマ公演後に自殺未遂をおこしたとされるが、そこにコートニーと離婚したいと言った内容のメモが残っており、コートニーがそのメモを処分したと言う事をトム・グラントはコートニー自身から聞いている。また、後期のカートは音楽活動に嫌気をさし活動をやめたいともらしていた事もあり、自己顕示欲・成功欲の強いコートニーとしてはカートの隠居や離婚による莫大な資産を失うと言う事が耐えられない為に、子守アシスタントでコートニーの元恋人であるマイケル・デウィットと共謀して行なったとしている。
この説は、カートの遺書が死について言及をしていない点や現場検証において不可解な点が多数見られる事により世間に広まる結果となる。
[編集] 暗殺説に関する書籍・フィルム等
カート暗殺説に対する検証としていくつかの書籍・ドキュメンタリー映画が出版されている。
- Who Killed Kurt Cobain?(書籍・1998年)
- Kurt & Courtney(ドキュメンタリーフィルム・1998年)
- Love & Death(書籍・2004年)
[編集] 機材
[編集] ギター
殆どのギターはレフティ(左利き用)モデルを使用している。
- フェンダー・ジャガー
- カートが使用したギターの中でも最も有名と思われるギター。ライブやレコーディングで多く使用されている。ネック部にホワイト・バインディングを施された1965年製。オリジナルのジャガーとは大きく異なった仕様になっており、前後のピックアップをディマジオ製のハムバッカー(フロントがPAF、リアがSuper Distortion)に、ピックアップセレクターをトグルスイッチに(ほとんどの時期を上から黒いビニールテープでリアに固定)、ブリッジをシャーラー製のチューン・O・マチックに、コントロールを金属製のノブで2ボリューム・1トーンに、それぞれ変更してある。カートは『L.A.リサイクラー』という新聞でこのギターを見つけ購入。購入時にはすでに上記の改造が施されていた。イン・ユーテロツアー時にリアピックアップをセイモア・ダンカンのJBに変更した。
- ユニボックス・モズライトのコピーギター"ハイ・フライヤー"
- アルバム『ブリーチ』、シングル『ハートシェイプト・ボックス』などで使用。ピックアップがシングルコイルからハムバッカーに交換されている。
- フェンダー・ムスタング
- ジャガーと並び、カートが愛したモデル。シングル『スメルズ・ライク・ティーンスピリット』のPVで使用されているのは1969年製のコンペティション・モデル(ボディ左下に描かれたラインが特徴。カラーリングはバーガンディ・ブルー)。ブリッジはGOTOH社製ののチューン・O・マティックに変更されている。また、この他にもフェンダー・ジャパン製のムスタングを所有しており、ピックアップはセイモアダンカンのハムバッカー、JBホットレイルに交換されている。
- 1992年製フェリントン・カスタム
- ダニー・フェリントンによってカートの為に製作されたカスタムギター。ムスタングをベースとして、ボディの木材にはバスウッド、ネックはメイプル、ローズウッド指板が使用されている。ブリッジはチュ-ン・O・マティック、指板にはハート型のポジション・マーク、ピックアップ・セレクターはストラトスタイルのもの。ピックアップはバルトリーニ。配置はフロント・ミドルがシングルコイル(ミドルピックアップはスラントして取り付けられていた)、リアがハムバッカー。リアピックアップにはコイルタップ回路が付いており、シリーズ接続、パラレル接続、そしてシングルコイル風のサウンドを出すことができるようになっている。これらはボリューム・トーンノブの下に位置するトグルスイッチで操作できるようになっている。カラーリングはベイビーブルー、ピックガードは赤べっ甲柄。
- ジャグスタング
- ジャガーとムスタングを組み合わせたカスタムギター。ピックアップはディマジオのハムバッカーとテキサスSPのシングルコイル。後にフェンダーによって正規ラインに加えられた。2006年生産中止。カート自身はあまり気に入っていなかった模様。
- ステラ・ハーモニー
- 12弦のアコースティックギター。但しカートはこのギターにナイロン弦を5つしか張っていない。初期のメインアコースティック・ギター。『ポーリー』や『サムシング・イン・ザ・ウェイ』で使用。その後ピックアップと弦を換えて『イン・ユーテロ』でも使用。
- エピフォン・テクサン
- ライブなどで使用された中期からのメインアコースティック・ギター。
- マーティンD18-E
- 『MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク』で使用されたアコースティック・ギター。ピックアップがバルトリーニの3AVに交換されている。世界で306本しかない。
- その他
[編集] アンプ
- Randall
- Sun-Beta
- 4x12Peavey
- 4x12Bullfrog
- メサ・ブギー・スタジオ・プリアンプ
- Crown Power Amp
- マーシャル
- Crest Power Amp
- フェンダー・べースマン
- Vox AC30
- フェンダー・ツイン・リバーブ
[編集] エフェクター
- Boss DS-1 Distortion
- ProCo Rat Distortion
- Electro Harmonix Big Muff Fuzz
- Boss DS-2 Turbo Distortion
- Tech21 Classic Sansamp Pedal
- Electro Harmonix Small Clone
- Electro Harmonix Poly Chorus
- Electro Harmonix Flazer
- MXR Phase 100
[編集] 豆知識
- パール・ジャムのヴォーカリスト、エディ・ヴェダーの言動や行動全てを嫌悪し始終、非難を続ける。ヴェダーの存在自体を何故か毛嫌いしていただけのようであるが、二人がプレスを通して展開した非難の応酬は異常であった。
- 音楽を始めた時はドラムを担当。また絵画などでもその特異な才能を発揮している。
- 左利きだが、ギターを始めた当初は右利き用のギターを逆さにして弾いていた。父・ドナルドはカートの左利きを気に入らなかったらしく、何度も右利きに矯正を試みたが結局直らなかった。
- 好きなアーティストとして「ピクシーズ」、「エアロスミス」、「レッド・ツェッペリン」、「セックス・ピストルズ」、「R.E.M.」、「ビートルズ」、「ティーンエイジ・ファンクラブ」、「ブラック・フラッグ」、「ヴァセリンズ」、「フリッパー」、「スクラッチ・アシッド」、「ダニエル・ジョンストン」、「ワイパーズ」を挙げている。日本のアーティストでは「少年ナイフ」、「ボアダムズ」なども彼のお気に入りであった。特にR.E.M.は「一度でいいからR.E.M.みたいな曲を書いてみたい」と言わせるほどだった。また、Nirvana最大のヒット曲・「スメルズ・ライク・ティーンスピリット(Smells Like Teen Spirit, 1991)」は最高のポップソングを作るために、ピクシーズのリフを盗用したのだと、カート本人が冗談交じりに語っている。
- 「ガンズ・アンド・ローゼズ」とは壮絶な対立関係にあり、それは当時のファンを二分するほどだった。カートはガンズに対し「あいつらは金のために音楽をやってるんだよ」と発言している。
- ダニエル・ジョンストン、フリッパー、キャプテン・アメリカ等のTシャツを好んできていた。
- 彼は日記の中でお気に入りのアルバム50枚を挙げている。
- pixies - surfer rosa
- stooges - rawpower
- breeders - pod
- vaselines - pinkEP
- shaggs - philosophy of the world
- fang - land shark
- m.d.c - millions of dead cops
- scratch acid - 1stEP
- saccharin trust - 1stEP
- buttohole surfers - pee pee the sailers
- black flag - my war
- bad brains - Rock For Right
- gang of four - entertainment!!
- sexpistols - nevermind of bollocks
- frogs - its only Right
- p.j.harvey - dry
- sonic youth - daydream nasion
- the knack - get the knack
- the saints - know your product
- kleenex - anything by:
- raincoats - raincoats
- young marble giants - colossal youth
- aero smith - rock
- punk comp carifornia - what is this?
- r.e.m - green
- shonen knife - burning farm
- slits - typicalgirl
- the clash - conbat rock
- void/faith - void/faithEP
- rites of spring - rites of spring
- beathappning - janboree
- tails of terror - tails of tarror
- leadbelly - lastsessions vol.1
- Mudhoney - Super Fuzz Bigmuff
- Daniel Johnston - Yip Junp Music
- Flipper - Genetic Fliper
- The Beatles - Meet The Beatles
- Half japanese - We are those who ache with amorous love
- Butt hole Surfers - Locust abortion technician
- Black Flag - Damaged
- Fear - The Record
- P.I.L - Flowers of Romance
- Public enemys - Takes a Nation of Millions
- Marine girls - Beach Party
- David Bowie - The Man Who Sold The World
- Wipers - is this real?
- Wipers - youth of america
- Wipers - over the edge
- mazzystar - mazzy star
- swans - Raping a Slave
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- Devo - Are we Not Men?
- Bigblack - Atmizer
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- Sebadoh - Losercore
- dur - spaghette and red wine
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- Axemen - Mourning of Youth
- DanielJohnston - Continues storys
- stinkyPuffs - stinky Puffs Theme
- Humburger - How You Make A Car
- Humburger - baby a monster
- Roy orbison - Greatest Hits
- smegma
- xtc
彼の音楽の趣味はパンク、ポップス、実験音楽、ノイズ音楽等、多岐に及んでいる。
- 配偶者はホールのコートニー・ラブ。娘はフランシス・ビーン。コートニーとは1992年2月に結婚。その意図は不明であるが、式を通してカートはパジャマ姿であったと言う。忘れ形見のフランシスは現在、モデルを務めている。
- 2006年には彼の死を下敷きにして作られた映画「ラスト・デイズ」が公開された。主演はマイケル・ピット。ちなみにこの映画には、シーンの盟友であるソニック・ユースのキム・ゴードンも出演している。
- カートの死後、ドラマーであったデイヴ・グロールは自身のバンド、フー・ファイターズでカートと同じギターとボーカルをパートに精力的に活動中。またベースのクリスもスウィート75で活動を開始したものの、現在は音楽界から引退している。
- 近年、その音楽が再注目されベスト盤、ボックスセット等が相次いでリリースされている。
[編集] インタビュー
- DVD「All Apologies」のインタビューで「いつかアコースティックギターで演奏したい。シンガーソングライターと呼ばれたい。グランジロッカーじゃなくてね。そうすれば歳を取ってからギターを抱えて椅子に座りながら──ジョニーキャッシュみたいになれるからね」と語っている。
[編集] 関連項目
ニルヴァーナ |
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カート・コバーン - クリス・ノヴォセリック - デイブ・グロール |
オリジナルアルバム: ブリーチ - ネヴァーマインド - イン・ユーテロ |
ライブアルバム: MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク - フロム・ザ・マディ・バンクス・オブ・ウィシュカー |
ベストアルバム: ニルヴァーナ |
未発表&別テイク集: ホルモウニング - インセスティサイド - ウィズ・ザ・ライツ・アウト - スリヴァー |
楽曲: 「スメルズ・ライク・ティーンスピリット」 |
元メンバー: パット・スメア - アーロン・バークハード - デイル・クローバー - デイブ・フォスター - チャド・チャニング - ジェイソン・エバーマン - ダン・ピーターズ |
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