ながの東急百貨店
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
本社所在地 | 長野県長野市南千歳一丁目1番地1 |
設立 | 1958年11月10日 |
業種 | 小売業 |
代表者 | 加藤和年(取締役社長) |
資本金 | 2,368百万円 |
売上高 | 21,643百万円 (2006年1月期) |
従業員数 | 434人 (2006年1月31日現在) |
外部リンク | http://www.nagano-tokyu.co.jp/ |
株式会社ながの東急百貨店( - とうきゅうひゃっかてん)は、長野県長野市南千歳にある百貨店。ジャスダック証券取引所に証券コード9829で株式を上場している。
JR・長野電鉄長野駅前に店舗があり、長野市唯一の都市型百貨店として賑わっている。本館正面入口脇のプレイガイド・宝くじチャンスセンターは、長野県内での宝くじ高額当せん者を多く輩出していることで知られている。別館「Cher-Cher(シェルシェ)」(1986年オープン)はブランド、キャラクターズショップや雑貨売り場など、地方都市としては数少ない都市型店舗として多くの顧客を吸引している。姉妹店として「ながの東急ライフ」(1990年オープン)と称する小型店舗を長野電鉄信濃吉田駅・JR北長野駅前に有している。
当初は「ながの丸善(1958年創業)」と称する地場資本で店舗も長野銀座(旧・長野そごう、当時の長野丸光前、現在は信越放送)にあったが、低迷期であった1966年に長野駅前の現在地に移転、東急百貨店の出資を仰ぎ、東急百貨店・東急グループの一員となり、1970年に現在の商号に変更し、今日に至る。
以前は小諸の店舗(1983年-2002年)と、岡谷に子会社の株式会社おかや東急百貨店の運営する店舗を持っていたが、不採算につき閉鎖した。
商圏は長野市を中心として県内東部・北部や新潟県上越地方に拡がり、上越市には小型店舗(ギフトショップ)も配置されている。
かつて、INC長野ケーブルテレビなど商圏内のケーブルテレビに「チャンネルTOKYU」(- とうきゅう)と称するチャンネルを運営、原則30分1サイクル・週1回更新の宣伝番組を制作・放映していたこともあった。(長野ケーブルテレビでのチャンネル番号は「19」であったが、現在は放映を終了している)
2000年代初めに新潟県三条市に存在したスーパーマーケット「まるよし」と業務提携し、百貨店業態であった同社本店の支援を行なっていた時期もあったが後に解消、同社は会社更生法の適用を受け閉店している。
[編集] 沿革
- 1958年(昭和33年)11月 - 株式会社丸善銀座屋として開業。
- 1961年(昭和36年)2月 - 株式会社ながの丸善に商号を変更。
- 1966年(昭和41年)11月 - 長野駅前に店舗を移転。
- 1966年(昭和41年)12月 - 株式会社東横(現:株式会社東急百貨店)と業務提携。
- 1970年(昭和45年)9月 - 株式会社ながの東急百貨店に商号を変更。
- 1983年(昭和58年)11月 - 小諸店が開店、長野県中野市に、外商部中野出張所を開設。
- 1986年(昭和61年)4月 - 長野県更埴市に、外商部更埴出張所を開設。
- 1986年(昭和61年)11月 長野店に新館シェルシェを開設。
- 1988年(昭和63年)11月 - 長野県上田市に、小諸店外商課うえだ東急ギフトサロンを開設。
- 1990年(平成2年)11月 - ながの東急ライフ開店。
- 1991年(11月) - 長野県松本市に、外商部松本サテライトショップを開設、各地出張所をサテライトショップに改称。
- 1997年(平成9年)9月 - おかや東急百貨店が開店。
- 1997年(平成9年)11月 - うえだ東急ギフトサロンをショッピングプラザ109上田に改称。
- 2000年(平成12年)1月 - ながの東急ライフを株式会社北長野ショッピングセンターに移管。
- 2002年(平成14年)4月 - 小諸店、おかや東急百貨店が閉店。