ZEPPET STORE
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ZEPPET STORE(ゼペット・ストア)は日本のバンド。1997年メジャー・デビュー。2005年8月に解散。解散までに13枚のシングルと11枚のアルバム(内2枚はインディーズ盤)を発表している。hideに見出された形でメジャーデビューに至り、深い関わりを持っていた。97年という、一説に「ニューロック世代」と言われる時期のバンドの一つ。
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[編集] メンバー
- 木村世治(きむら せいじ)ボーカル&ギター担当。
- 赤羽根謙二(あかばね けんじ)ギター担当。
- 中村雄一(なかむら ゆういち)ベース担当。バンドリーダー。
- 柳田英輝(やなぎた えいき)ドラム担当。
- 五味誠(ごみ まこと)ギター担当。(1996年脱退)
[編集] 来歴
[編集] 結成からインディーズデビューまで
1989年、木村と五味、そしてアキラ(ベース)という3人が音楽雑誌の「メンバー募集」のコーナーで知り合う。この時、3人の好みの音楽はバラバラであったが、逆にそれが何か凄い音楽を作り出すのではないかという予感を全員が感じ取り、バンドがスタートする。この3人で結成した直後に、柳田が加入。4人組のバンドとなる。ボーカルの木村は子供の頃から洋楽を聴いていただけあって、歌詞はすべて英詩で行っており、歌い方も日本人離れしていた。
1992年頃からインディーズレーベル「アンダーフラワー」のコンピレーションなどに楽曲を提供していたが、正式なフル・アルバムは同じく1994年に「アンダーフラワー」から発売された『Swing、Slide、Sandpit』である。後に、彼らの運命を変える事になるこのアルバムだが(詳しくはhideとの出会いの項目を参照)、発表当時は全く受け入れられず、自主制作盤だったため、わずか1000枚をプレスした時点で廃盤となってしまった。ファンの間では現在でも高額で取引されているため、復刻が望まれている(その後、2007年初頭に再発されることが発表された)その後、下北沢を中心にライブ活動も地道に行っていった。
[編集] hideとの出会い
後に木村が「あの頃、バンドは半分趣味みたいな感じだった」と語るように、当初はあまり精力的な活動は行っていなかった彼らだが、インディーズ・デビューを果たしてから1年後の1995年、運命を変える出来事が起こる。当時X JAPANのメンバーであったhideが、『Swing、Slide、Sandpit』を非常に気に入っているという話がメンバーの元に舞い込んできたのだ。hideはとある事務所でこのCDが落ちているのを発見し、「ジャケットがかっこいい」という理由で自宅に持ち帰ったという。そして、ある日たまたま彼が自宅でこのCDをかけたところ、あまりのカッコよさに衝撃を受け、関係者に詳細を尋ねたところ、下北沢で地道に活動している日本人のバンドだという事実を知った彼は、「日本にビートルズが誕生するくらい重要な事態だ」と感じ、メンバーと直接会い、ZEPPET STOREを世に送り出すためだけに、当時hideが所属していたビクターに、レーベル「Lemoned」を設立する。ゼペット側にも変化があり、ベーシストとして中村が加入した。hideは早速彼らを海外レコーディングへと誘い、hideのバックアップのもと、セカンド・アルバム『716』を完成させる。欧米のバンドのようなサウンドに仕上がった本作は日本ではリリースせずに全米のみで発売(日本でも輸入盤が流通)し、海外でも高い評価を受け、全米ツアーを行う。この出来事で一気に知名度を得たZEPPET STOREは、1996年、遂にMCAビクター(現ユニバーサルミュージック)からメジャー・デビューを果たす。メジャーデビュー後は、日本語の詩にも挑戦。詩の内容は木村の人柄が出た優しい内容のものが多く、後に「優しく、男気のあるギターロック」と呼ばれるきっかけとなった。この変化によって彼らは日本語詩の楽曲も英語詩の楽曲もフレキシブルに作曲できるバンドとなり、hideを喜ばせた。 その証拠として、hideの歌に、ゼペットへのアンサーソングがある。
[編集] hideとの別れ
メジャー・デビュー後、ギタリストの五味が「音楽を商売にしたくない」という理由で脱退。結果的に彼らのファースト・アルバム『Cue』(1997)は3人組という形で発表した。その後もhide主催のイベントなどに出演し、着々と人気を得る。1998年春に柳田の旧友である赤羽根がギタリストとして加入(赤羽根がhideに「加入することになりました」と電話で告げたところ、hideからは「その言葉を待っていたんだよ」という返答が返ってきたという)。再び4人組として再スタートを切った彼らだが、1998年5月2日にhideが事故により急死。彼の死後、様々なテレビ局で放送された追悼番組にZEPPET STOREは精力的に出演する。
[編集] 変化
hideの死後、バンドには様々な変化が起こる。まず、hideが担当していたニッポン放送『オールナイトニッポンR』金曜第二部を木村が担当することになる。これは前々から木村のトークを評価していたhideが以前飲み会の席で「木村、次はオールナイトニッポンだ!!」と言ったことから、「hideも木村が担当することを望んでいるのではないか」という木村とスタッフの考えが現実化したものであった。 木村の第一声は「hideさん天国行っちゃいました。」と淡々としたものだった。
後に木村は月曜日の第二部へと移動になるが、この頃からZEPPET STOREが持つクールなイメージとは裏腹に「オールナイトニッポン・マンデー」を略して「オナマン」と呼んだり、コーナー内にも下ネタを盛り込むようになる。これは木村の口から最終回に明かされたことだが、当時「バンドのイメージが崩れるから止めてほしい」などといった苦情のハガキやメールも多数受けていたという。しかし、木村のオールナイトは一部深夜放送リスナー(もちろん以前からのファンにも)に強烈なインパクトを残し、2年間放送された。ちなみにこの番組には木村以外のメンバーが出演したことはない。そして、1999年に発売されたメジャーセカンド・アルバム『CLUTCH』は、オリコン初登場8位を記録。その他、ドラマの主題歌を担当したり、「HEY!HEY!HEY!」や「ミュージックステーション」といったゴールデンタイムの音楽番組にも出演を果たす。さらに、この年に行われた『RISING SUN ROCK FESTIVAL』にも参戦した。thee michelle gun elephantやBLANKEY JET CITYなどのコアなロックバンドが中心だったこのイベントだが、ZEPPET STOREはその「違和感」を上手く利用し、ステージで珠玉のバラードナンバー「ROSE」を披露した。この出来事は、ファンの間では賛否両論が巻き起こったが、メンバー自身は後に「あの場であの曲が演奏できて良かった」と発言している。
[編集] サウンドの変貌、そして解散
その後も彼らは『GOOSEFLESH』(2000年)、『DINO』(2001年)といった作品を発表していくが、デビュー時はUKギターロックの影響が色濃かった彼らのサウンドは作品を重ねるごとにヘヴィなサウンドに変化していき、歌詞にも「これが現実なんだ」という一種の厳しさを持つものが多くなってくる。一部のファンは「ゼペットが優しくなくなった」と呟くようになり、セールス的にも苦戦を強いられるようになった。2003年にはアルバム『SLICK』を発表。自ら「原点回帰」というキャッチコピーを用いたこのアルバムは、初の英語詩と日本語の楽曲が混合して収録されたもので、メロディ、そして歌詞共にデビュー当時の雰囲気が伝わってくる作風でファンを喜ばせた。そして2005年、全英語詩によるアルバム『BLACK BERRY BED』を発表後、公式ホームページで解散を発表。2005年8月14日、リキッドルーム恵比寿でのステージが最後となったが、同年8月19日に行われた『RISING SUN ROCK FESTIVAL 05』にて急遽一夜限りの再結成。以前はファンの間に賛否両論を巻き起こしたイベントで、彼らはファンから盛大な拍手を受けて長い歴史に幕を閉じた。解散後、ボーカル、ギターの木村は新バンドHOODISを結成。ベースは元Walrusの三浦薫、ドラムは元SUPERCARの田沢公大、そして、ギターは盟友の五味誠が担当している。
[編集] 作品
[編集] アルバム
- SWING,SLIDE,SANDPIT (1994年6月21日)
- 716 (1996年5月07日)
- CUE (1997年4月23日)
- BRIDGE (1999年2月24日)
- CLUTCH (1999年10月08日)
- GOOSEFLESH (2000年09月06日)
- DINO (2001年11月07日)
- Singles and Rare 1994-2001 (2002年03月27日)
- SLICK (2003年06月11日)
- BLACK BERRY BED (2004年09月22日)
- LAST&LIVE ALBUM「4」 (2005年10月26日)
[編集] シングル
- 声 (1996年9月4日)
- TO BE FREE (1996年11月21日)
- SUPERSTITION (1997年2月21日)
- DON'T ASK ME WHY (1997年11月5日)
- LOOP (1998年6月24日)
- ROSE (1998年11月21日)
- もっともっと (1999年5月19日)
- 遠くまで (1999年7月28日)
- EMOTION (2000年4月12日)
- DISTANCE (2000年4月26日)
- PRESENCE (2000年7月26日)
- TIGHTROPE (2001年6月27日)
- SEEK OUT (2001年10月6日)
[編集] DVD
SLIDE
[編集] 主な楽曲
- lacerate your brain
- 『Swing、Slide、Sandpit』のオープニング・ナンバー。hideが衝撃を受け、『hideのオールナイトニッポンR』の最終回でもオン・エアされた。また、2002年発表のベストアルバム『Singles&Rare 1994~2001』にも収録され、『Swing~』に収録された楽曲の中で唯一ファンが容易に聴くことができる曲のため、ライブでもよく演奏された。
- SOMETHINGS SIMPLY VANISH
- 『716』に収録されたナンバーで、生前hideが最も気に入っていた曲。
- DONT' ASK ME WHY
- メジャー4作目のシングル曲。日本語詩。アニメAWOLエンディングテーマ、ミニスカポリステーマソングに起用された。hideいわく「この曲を聴いて100回くらい泣いたかもしれない」
- ROSE
- hideの死後にリリースされた6作目のシングル。日本語詩のバラードナンバー。なんと7つものタイアップがついた。
- もっともっと
- 7作目のシングル曲。ポップジャム1999年5月度エンディングテーマに起用された。「どうしようもないほど迷いながら僕らは行く」という歌詞がファンを泣かせた。
- 遠くまで
- DEARLY
- セカンド・アルバム『CLUTCH』に収録されたナンバー。木村自身が「hideさんに捧げた曲」と公言している。-->