Yukihiro
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
yukihiro(ユキヒロ,1968年11月24日 - )は、日本のドラマー。千葉県市川市出身。L'Arc~en~Cielのドラマー、P'UNK~EN~CIELのベーシスト、acid androidのヴォーカリスト、フロントギターとして活動している。また、元Zi:Kill、DIE IN CRIESのドラマー。L'Arc~en~Ciel加入以前は表記がYUKIHIROだった。愛称は「ユッキー」。身長165cm、体重48kg、ウエスト54cmと細身。血液型はA型。チョコとコーラ、マクドナルドのフィレオフィッシュが好物である。
プレイスタイルは低音を極力抑えながら、細かい手数を入れた叩き方が特徴。ロート・タムを多用し、通常のヘヴィ・メタルなドラムとは異なる硬質な音を出す。また、変則リズムも多く採り入れており、結果的にはラルクの楽曲幅を広げることに貢献した。 セットは通常、パールの2バス・ドラムセット、MXシリーズにセイビアン製のシンバルを組み合わせたもので、スネア・ドラムは薄いタイプを用いている。2006年12月には、限定版としてyukihiroのシグネチャー・モデルのスネアが発売された。
また、ラルク加入後はリミックスも手がけており、リミックス集「ectomorphed works」を2000年にリリースしている。
目次 |
[編集] 来歴
yukihiroがドラムを始めたのは高校入学の時だった。 高校入学祝いを貰いそれでギターを買おうと楽器店へ行ったところ、ギターと同じフロアに置いてあったドラムセットに一目惚れしたそうだ。フルセットで叩き、近所から苦情が来たため、市役所の訪問を受けた事がある。結局、叩く時間を決めることで、事態は収拾された。そして高校入学後から髪を伸ばしはじめ、バンド活動を始めた。
しかし、バンド活動に傾倒し次第に学校へ行く意味を見失い、高校を退学しようと親に相談したところかなり怒られた。結局高校を無事卒業し大学へと進学した。
大学在学中にZi:KillのKENからの誘いを受けZi:Killに加入し活動する。しかし、メジャーデビューアルバムのレコーディング終了後に脱退してしまう。 理由は海外でレコーディング中メンバーの一人が「こいつが居るなら俺が辞める」と言い出し、途中参加だったyukihiroが抜ける事となった
その後室姫深に誘われOPTIC NERVEを結成する。しかし、KYOとバンドを組みたいと思ったyukihiroは室姫深と共にDIE IN CRIESに加入しメジャーデビューを果たす。
1994年のDIE IN CRIES解散後はソロ活動と共に飯島直子のサポートドラムとして活動をする。
1997年にL'Arc~en~Cielのsakuraが逮捕された後、サポートドラムとして参加、1998年1月1日付けで正式加入する。
ドラムセットの前にマイクを置いていたsakuraとは対照的に、加入当初は歌うことは殆ど無かったが、2003年のShibuya7daysライブ中、自作曲「trick」をhyde, tetsu, kenらとギターで演奏しながら共に歌う。そして後のacid androidでは本格的にボーカルをとっている。
ドラムだけでなくギターやプログラミング、昔はDJも担当していた。レディオヘッドを尊敬しており、写真を額縁に入れて飾っているほど。他にもミニストリー、スリップノット、TOOL、デフトーンズ、マッシヴ・アタック、メタリカなどをフェイバリットアーティストとして挙げている。
[編集] 人物
- ラルク以前の呼び名は「先生」だった。これは大学在籍中に教職過程を取っていたから、家庭教師のバイトをしていたからなど諸説がある。ラルク以降も時折「先生」と呼ばれているが、概ね「ユッキー」の愛称が定着している。
- 細身の体だが、運動神経はよく、小学生時代には運動能力テストで優等とされバッジをもらったこともある。また、中学時代は陸上部に入り、短距離走選手として活躍していたが、外を走る練習の際にたびたびサボっていたことがばれてクラブをクビになったことがある。
- ホラー映画が大嫌いで、「リング」を見て泣いた。
- ゲーム好き。特にPS2の「塊魂」のファンだったのは有名。
- 高校時代は学業成績はよかったらしい。ただ態度が不遜な上、長髪だっため教師に受けは悪く、大学に合格した際、言われた言葉は「お前が受かって、他の生徒はどう思うかな?」だったそうだ。
- ラルク以前はバンドマンたるものかくあるべし、というポリシーを断固として守っていた。例えば「半そでは着ない。」「ハワイには行かない。」など。音楽以外に割く時間はないと、車の免許も持っていなかった。ラルクに加入し、自然体のメンバーに大きな影響を受けた後は、ハワイも行き、半袖を着用するように。99年にはリーダーであるtetsuに「車の免許も取ったほうが良い」と言われ取ったことを、FMラジオで公言した。
- 歌い声は独特なもので、瞳の住人に収録されたREADY STEADY GO-yukihiro ready-で多くのファンを驚かせた。
- 激しいドラムプレイからは想像もつかないほど話し方は穏やかでゆっくり口調。一部のファンからは「ひらがな喋り」と言われることも多い。
[編集] 作品
[編集] シングル
yukihiro名義* ring the noise(2001年9月27日)
acid android* let's dance(2006年4月5日)
[編集] アルバム
- 「8. 13」LIVE AT NISSIN POWER STATION '95. 8. 13 (2000年5月14日)
- acid andoid(2002年9月25日)
- faults(2003年3月12日)
- purification(2006年5月10日)
[編集] ビデオ・DVD
[編集] バンド遍歴
- GUERRILLA
- Zi:Kill
- OPTIC NERVE
- DIE IN CRIES
- L'Arc~en~Ciel
- acid android
- P'UNK~EN~CIEL