WJプロレス
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WJプロレス(ダブルジェー)は、長州力を中心として2002年に設立されたプロレス団体で、設立時の社長は福田政二。正式名称は株式会社ファイティング・オブ・ワールドジャパン。
[編集] 概要
旗揚げ興行は2003年3月1日横浜アリーナ。他団体(プロレスリング・ノア)や格闘技(K-1 WORLD MAX)のビッグマッチにぶつけた強気日程で話題を呼ぶ。ただし旗揚げ興行の開催日と会場に関しては、専務取締役であった永島勝司の著書によれば2003年3月中に旗揚げ興行が開催できる場所が、3月1日の横浜アリーナしか空いていなかったというのが真相だったようである。永島勝司はWJの設立発表(2002年11月)から2ヶ月以内に旗揚げ興行を開催したいという意向を持っていたが、他団体から移籍する選手たちの契約切れを待っていたため意向通りに旗揚げ興行を開催できず、これ以上旗揚げ興行を先延ばしできなかったという事情もあった。
旗揚げ当初から観客動員に苦戦し、2004年年始までにほとんどの選手・社員との雇用関係を解消、事実上の業務停止となった。長州自身が見下していたインディー団体以下の試合内容、自分勝手な経営かつ選手引抜や意図的な興行バッティング等で他団体にも多大な迷惑をかけたことから「日本プロレス史上最低の団体」とも位置づけられれる。崩壊に至った理由として以下のものが挙げられる。
- 団体の方向性が定まらなかったこと
- 「プロレス界のど真ん中」とキャッチフレーズを掲げたものの、具体的な方向性を見せられなかった。長州のファイトスタイルは短時間で大技を繰り出して終える「ハイスパートレスリング」であったが、若手の試合も長州のデッドコピーの様な試合となることが多かった。団体のコンセプトを見せると思われた、旗揚げからの長州vs天龍源一郎の6連戦が途中で取りやめになり、前述の旗揚げ興行が不入りだったこともあり、立ち上げからつまづくこととなった。
- ファン離れ
- 前述のコンセプトを曖昧にしたまま興行を続けたが、観客動員には常に苦しみ続けた。「プロレス界のど真ん中」を標榜しながら、総合格闘技イベント「X-1」を主催し不入りに終わったことや、テコ入れのための大仁田厚とのデスマッチ路線などの迷走を続けた。また、長州の目指していたものと当時のファンの求めていたものの違いも原因の一つと言われている。
- 参加レスラーの高年齢化
- 参加選手の大半が40〜50代であり、ベテランと呼ぶにも苦しい旬を過ぎたレスラー中心だった。比較的若い、鈴木健想や大森隆男、有力外国人ダン・ボビッシュ、前田日明も認めるほどの期待の新人であった中嶋勝彦も退団し、末期にはその構成年齢比率はますます高年齢者中心となった。そのため、ZERO-ONEとの対抗戦などでレスラー不足を補わざるを得なかった。
専務取締役であった永島勝司と長州に会社が私物化されているとの声も多く聞こえ、かつての東京プロレスやジャパンプロレスと同様、独立小団体の典型的な失敗パターンをなぞる結果となった。 多額の支度金を用意したにも関わらず、その後返金されることはなく、崩壊後無一文状態となってしまった佐々木健介や、プロレス界から一線を退いたマサ斎藤らが、非常に迷惑を被ったとされる。
2003年末以降、ZERO-ONEを主戦場にハッスルなどにも参戦。不定期に単独興行も打っていたが、2004年8月13日に所属選手がWJから分離して設立された『リキプロ(立石史代表)』へ移籍。長州自身はWJに残留する(ただし一部のメディアではリキプロ所属とされる)も、WJとしての活動は停止された。金銭面の問題やその他理由は多々挙げられるも詳細は不明である。それ以降、WJとしてはほとんど活動していない。 2004年5月に社長は轡田浩二へと変更し、興業以外での新規事業での再建を図るも頓挫。
不遇な状況のまま解散となった団体だが、経営危機やフロントの不手際による試合外での話題も豊富で、団体活動は停止したにもかかわらず現在でもこの団体をネタに語る人が多い。主なものは以下のとおり。
- 金網デスマッチ中に金網が外れるなど、さまざまな不手際が発生した総合格闘技イベント「X-1」終了後、長州が当日会場に取材に来ていたマスコミに対して一言もコメントしないまま興行終了を待たずに帰宅する。
- タイトルマッチ当日にチャンピオンベルトの完成が間に合わず、ベルト不在の王者決定戦となる。
- 2003年10月22日に後楽園ホール大会を開催することを発表した直後にネット上で同日にボクシング興行が予定されているのを指摘され、後楽園ホールに確認したところ実際には後楽園ホールが押さえられておらず急遽お詫びと興行中止を発表する。その代わりとして首都圏の会場でビッグマッチを行うと発表するも未だに行われていない。
- 一度発表された興行がフロントの不手際(会場に対して手付金を払わない、契約書を交わさない、電話確認をしない等)により中止されることが多発する。
- 所属選手だった谷津嘉章が東京スポーツ紙の取材に対して、給料未払い等のWJの苦しい経営状況を暴露する。