SAYURI
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SAYURI (原題「Memoirs of a Geisha」) |
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監督 | ロブ・マーシャル |
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製作総指揮 | スティーヴン・スピルバーグ |
脚本 | ロビン・スウィコード ダグ・ライト |
出演者 | チャン・ツィイー 渡辺謙 ミシェル・ヨー 役所広司 桃井かおり 工藤夕貴 コン・リー 大後寿々花 |
音楽 | ジョン・ウィリアムズ |
撮影 | ディオン・ビーブ |
編集 | ピエトロ・スカリア |
配給 | ブエナビスタ 松竹 |
公開 | 2005年 |
上映時間 | 約146分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
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SAYURI(原題「Memoirs of Geisha」)は1997年に出版されたアメリカ人作家アーサー・ゴールデン(Arthur Golden)の小説「Memoirs of Geisha (邦題「さゆり」)」を原作としたアメリカ映画。監督はロブ・マーシャル、主演はチャン・ツィイー。第二次世界大戦時の京都で活躍した芸者の話である。アカデミー賞で6部門ノミネートされた。
目次 |
[編集] ストーリー
1929年、日本の貧しい漁村の9歳の少女千代が京都・祇園の置屋に売られ、厳しい生活の中で人気芸者に成長していく女性の生涯を描いた物語。背景に第二次世界大戦の戦時色が日本を包み、敗戦後の社会の変化によって影響される人生と運命を表現している。
[編集] スタッフ、キャスト
制作:スティーブン・スピルバーグ、監督:ロブ・マーシャル、日本では2005年12月10日全国松竹・東急系公開。2006年7月5日DVD/VIDEO レンタル開始。 出演はチャン・ツィイー、渡辺謙、コン・リー、ミシェール・ヨー、役所広司、桃井かおり、工藤夕貴、大後寿々花、ケリー・ヒロユキ・タガワ。なお、チャン・ツィイー、コン・リーは中国人、ミシェル・ヨーはマレーシア人である。大後寿々花はSayuriの幼年期を演じる。 日本語吹き替えは土居裕子(チャン・ツィイー)、唐沢潤(ミシェル・ヨー)、湯屋敦子(コン・リー)。
[編集] 原作について
[編集] 論争
小説出版後、岩崎峰子(後に岩崎究香と改名)は名誉毀損と契約違反でアーサー・ゴールデンを訴えた。原告によれば、契約では小説の登場人物はすべて匿名ということになっていた。なぜならこのことは芸者社会では暗黙の了解であり、これを破ることは重大な違反だったからである。原告の名前が活字になったとき、彼女は数多くの死の恐怖にさらされ、芸者社会を侮辱したことに対して自殺を迫られたが、彼女はゴールデンを訴えることを選択した。2003年、示談によりゴールデンが賠償金を支払うことで決着し、岩崎が勝訴した。
岩崎は決して公の場では言及しなかったが、彼女自身の自伝「Geisha, A Life(アメリカでの書籍名。イギリスでは「Geisha of Gion」として出版)」によって小説「Memoirs of Geisha」が如何に彼女の生活を忠実に再現しているかが明らかになった。事実、登場人物の多くは彼女が知っている人物か近しい人物に該当した。しかし、小説では意地悪で憎たらしく描かれている人たちも、実際にはとても親切であったし、千代が置屋に入ったときに奴隷のように扱われたとされている場面も、実際には岩崎は優しくされ、特別な扱いを受けた。"Sourpuss"は実は非常に親密な関係にあった姉妹であったし、「延(ノブ)」は彼女の後見人であり、恋人でもあった。岩崎は決して公然とは言わなかったが(伝統的な日本女性は一番奥にある個人的感情は表に出さないと西洋では思われているが)、ゴールデンの本は岩崎の過去の幸せな出来事の歪んだ見解を読むようなものだった。彼女はゴールデンに秘密を打ち明けたが、ゴールデンはベストセラーを書くために彼女の信頼を裏切った。
[編集] キャスティングにまつわる論争
多くの人がこの映画の中心人物を日本人が演じないことに驚いた。アジア人のキャスティングは奈良橋陽子が担当しているが、主役を演じるのは中国人のチャン・ツィイーである。しかし、このキャスティングは中国のインターネット・コミュニティーで物議を醸した。中国政府と一部の煽動により反日感情が伴って喜ばしく思わない人々がいたのだが、特に芸者を売春婦と誤解していることも原因のひとつである。
中華帝国には芸者と同様の職業が存在した。彼女たちは芸術、文学、歴史、社会慣習に通じ、洗練されていた。売春宿に住んではいたが、体を売って生活していたわけではなかった。彼女たちの仕事は音楽やチェス、書画などで男性のゲストをもてなしていたのである。中国語ではこれを"賣藝不賣身 (体の代わりに芸を売る)"と呼ぶ。彼女たちは高度に洗練され、名声がある一方(無数の中国の詩歌、文学、伝説、民間伝承に登場する)、日本の芸者のような地位を得ることはなかった。この文化の違いに馴染んでいない人々は芸者を否定的に誤解した。
これは芸者に対する中国語の名称で説明される。日本語では"芸者"と書かれるが、中国語では"藝伎 / 艺伎"と書かれる。しかし、多くの人は故意ではないにしろ(過激な国家主義者の場合は故意にだが)"藝妓 / 艺妓"と書く。この二つの非常によく似た文字 "伎" と "妓" の現代中国語のおける違いは、前者が芸術、技術の専門家を意味し、後者は売春婦を意味する点にある。しかしながら、古典中国語では両方とも正しく、ともにチャン・ツィイーがLOVERSで演じたような、音楽と踊りで男性客をもてなすことを職業とする女性を表すに使われた。文化の特定の一部分であることと、"妓"の意味が変化したことは、チャン・ツィイー、コン・リーが日本関係の映画に出演するのはかまわない(チャン・ツィイーは鈴木清順監督による「踊る狸御殿」のリメイク作「オペレッタ狸御殿」で主役を演じている)が、しかし売春婦役は受け入れられない、という間違った議論を招いた。この為、中国での反日感情を煽るとの理由から中国での同映画の上映中止が決まった。(しかし、中国の街角ではDVD化された本作品が5元で売られ、大量に流通しているのは皮肉である。)
否定的な反応の一部は中国映画では有名女優が売春婦を演じることは比較的稀なためであるという意見もある。これは中国社会の保守的な価値観や中国政府の圧力によるものであるし、中国と争っている国の役柄など言うまでもない。香港でさえ、ミシェル・ヨーは、なぜこのような選択をしたのか彼女に問いつめるリポーターに囲まれた。しかし、たとえばセシリア・チャンが「ワン・ナイト・イン・モンコック」(2004年)で売春婦を演じたときは論争はなく、大部分の中国人は気にしなかった。
アメリカでも批判が起き、日本を舞台にした映画で、日本人が主人公なのに日本人を使わないのか、主人公は日本人でハリウッドデビューを果たした栗山千明や小雪を使うべきだったという意見もあった。
[編集] 中国人女優への芸者からの贈り物
この映画のプロモーションで東京を訪れたチャン・ツィイーは、かつて芸者をしていた年配の日本人女性から包みと手紙を受け取った。手紙には彼女が映画の予告編を見て、彼女と彼女の友人に古き良き思い出を思い出させてくれることを期待しているということが書かれていた。包みの中には非常に優美な着物が入っていた。チャン・ツィイーはとても感動し、涙を流し、この女性に上映初日の招待状を送った。さらに彼女への感謝の意を表すために、このうちの一着を着ることを約束した。(The Star Online)
[編集] 参照
[編集] 関連書籍
- Memoirs of a Geisha (Vintage ISBN 0-09-977151-9)
- さゆり 上 (文春文庫 ISBN 4-16-766184-5)
- さゆり 下 (文春文庫 ISBN 4-16-766185-3)