KAL-1
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川崎 KAL-1 | |||
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概要 | |||
用途 | 連絡機(試作) | ||
乗員 | 2名/乗客2名 | ||
初飛行 | 1953年7月21日 | ||
運用開始 | ---- | ||
メーカー | 川崎航空機 | ||
寸法 | |||
全長 | 9.1m | ||
全幅 | 10.4m | ||
全高 | 2.5m | ||
翼面積 | m² | ||
重量 | |||
自重 | --- | ||
全備 | 1,460kg | ||
最大離陸重量 | --- | ||
動力 | |||
エンジン | ライカミング GO-435-C2 | ||
出力 | 260hp | ||
性能(目安) | |||
最大速度 | 295km/h | ||
巡航速度 | --- | ||
航続距離 | 830km | ||
実用上昇限度 | 5,000m | ||
海面上昇率 | --- | ||
翼面荷重 | ---kg/m² |
KAL-1は川崎航空機(現在の川崎重工業)が製作した小型プロペラ機。連絡機。K・Aは川崎航空機、Lは連絡機の略。
[編集] 機体
レシプロエンジン単発の4座席小型機で、低翼・尾輪式の当時一般的な形態であるが、戦後の国産機として初の引込脚・全金属製のボディである。
[編集] 概要
1952年(昭和27)、GHQ SCAPが撤収し、航空禁止が一部解除された直後、立川飛行機や東洋航空工業が試験・研究的な航空機製造に取り掛かったが、川崎航空機も航空産業の復活を目指し、まず小型飛行機の試作に取り掛かった。
「KAL-1」と名づけられた4人乗りの軽飛行機は、1953年(昭和28)7月に完成した。7月21日に各務原飛行場で初飛行に成功。10月に2号機が完成、両機共に耐空審査試験に合格した。両機は川崎の社用機として使用された。
1954年(昭和29)4月に日本青年飛行連盟が主催した台湾訪問親善飛行に参加し、セスナの機体と共に台北までの飛行に成功した。
1号機は昭和29年に陸上自衛隊へ買い上げられ、連絡機として使用された後に解体された。2号機は川崎の社用機として生涯を終えた後、大阪市交通科学館に引き取られて展示されている。