韓玄
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韓玄(かんげん、163年-209年?)は、後漢末期の長沙の太守。
三国志演義では、魏に仕えた韓浩の兄とされているが、正史にはそのような記述は無い。演義によると、民衆を苛める暴君で、荊州平定をめざす劉備が攻めてきたとき、当時家臣であった黄忠を出陣させて対抗したが、黄忠が劉備と内通しているのではないかと猜疑し、黄忠を捕らえて処刑しようとする。しかし、逆に民衆を煽動して反乱を起こした魏延によって殺害された。
正史においては、金旋や劉度らと共に劉備の軍勢に降伏したという記述しかない。しかし、長沙に彼の墓があるという記述から、劉備に許されず殺されたと思われる。