静岡高等学校 (旧制)
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静岡高等学校 (静高) |
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創立 | 1922年 |
所在地 | 静岡市 |
初代校長 | 金子銓太郎 |
廃止 | 1950年 |
後身校 | 静岡大学 |
同窓会 |
旧制静岡高等学校(きゅうせいしずおかこうとうがっこう)は、1922年(大正11年)8月静岡市に設立された官立旧制高等学校。略称は「静高」(しずこう)。
目次 |
[編集] 概要
- 文科・理科よりなる修業年限3年の高等科が設置された。ほぼ完全な寮自治が行われ、生協に倣って早くから自炊制度が導入された。
- 入学者は静岡県出身者が最も多く、東京府出身者がこれに次いだ。東京帝大への進学率は一高・浦高に次ぐ第3位を占めた。
- 新制静岡大学の前身校の一つであり、文理学部の構成母体となった。
- 新制高校である静岡県立静岡高等学校と混同しないよう注意を要する。
[編集] 沿革
- 1922年8月:設立。
- 1930年5月:昭和天皇の静高訪問に伴う弾圧事件。
- 学生による「某名士来る」のビラを押収、学生14名検挙(うち3名放校、7名退学)。
- 1949年5月:新制静岡大学発足にともない包括。
- 1950年3月:廃校。
[編集] 歴代校長
[編集] 校地の変遷と継承
校地は駿府城の北側、賤機山の東麓に位置しており、新制静大発足後は文理学部キャンパスとして継承されたが、1968年静岡市内大谷地区に統合移転されたため廃止。跡地は整備され1985年に市立城北公園が開園され現在に至っている。園内には「静陵輝像」「寮歌碑」など静高を記念するモニュメントが建立されている。
[編集] 出身者
- 中曽根康弘 - 内閣総理大臣 / 大勲位
- 森山欽司 - 政治家、元外交官
- 長沼弘毅 - 大蔵事務次官
- 溝呂木繁 - 郵政事務次官
- 森本修 - 農林事務次官、農林中金理事長
- 道正邦彦 - 内閣官房副長官(事務担当)、労働事務次官
- 藤縄正勝 - 労働事務次官
- 大坪健一郎 - 政治家、元労働省官僚
- 天谷直弘 - 通商産業審議官
- 山崎喜暉 - 東京六大学野球・東大唯一の2位時の主将。のち博報堂プロデューサー
- 神谷尚男 - 検事総長
- 斎藤寿夫 - 静岡県知事
- 柏村信雄 - 警察庁長官
- 土金賢三 - 警察庁刑事局長
- 須之部量三 - 外務事務次官、駐韓大使
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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