難波大道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
難波大道(なにわだいどう)は、古代に大阪府大阪市から大阪府堺市にかけて建設された道路である。
文献における初出は日本書紀の推古天皇21年(613年)に、「難波から京に至るまでに大道を置く」という記述があり、この大道の一部が難波大道だと考えられる。1980年に堺市常磐町で下水処理場の新設工事中に幅18mの道路遺構が発見され、同地が難波宮正中線上に位置し、さらに出土品も難波宮とほぼ同時代のものであることなどから難波大道の遺構であると考えられる。
北端は難波宮(大阪市中央区)で、南端は長尾街道・竹ノ内街道・河内和泉国境との交点のいずれか(全て堺市)と考えられる。
大阪市天王寺区南部の「大道」(だいどう)という地名はこの道路に由来するものである。 また、大阪市住吉区と同市東住吉区の区境(長居公園通から大和川まで)および堺市と松原市の市境(大和川から大泉緑地北西まで)が南北に約4kmに渡ってほぼ直線状に引かれているが、これも難波大道に由来するものである。
[編集] 参考文献
- 『完全踏査 続古代の道 -山陰道・山陽道・南海道・西海道-』、木下良監修・建部健一著、吉川弘文館、2005、ISBN 4642079483