阿部正敏
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阿部 正敏(あべ まさとし)は江戸時代中期の大名、大坂城代。
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生誕 | 享保15年(1730年) | |||
死没 | 天明7年4月19日(1787年6月4日) | |||
別名 | 般之進、満之進、織部 | |||
藩 | 武蔵忍10万石の藩主 | |||
父母 | 実父:阿部正喬(正敏は5男) 養父:阿部正允 |
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子 | 阿部正識(長男) |
先々代の忍藩主阿部正喬の5男。正喬が死去した際、まだ幼少だったため従兄の正允が藩主を継ぎ、正允が長命を保ったため、藩主を継いだのは実に51歳のときである。まもなく奏者番となる。正敏は江戸屋敷がたまたま、当時の実力者田沼意次邸の隣で、意次が屋敷地の拡張を希望していると聞くや、自分の屋敷地を幕府に返上し、幕府は意次に下賜する形で譲渡し、まもなく奏者番から大坂城代に昇格したが、在職中死去している。
[編集] 年譜
- 1730年(享保15年)生まれ
- 1780年(安永9年) 正允死去、阿部家相続
- 1781年(天明元年)奏者番
- 1784年(天明4年)大坂城代(5月11日)
- 1787年(天明7年)死去(4月19日)、享年58