阿部正喬
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阿部 正喬(あべ まさたか、寛文12年4月28日(1672年5月25日) - 寛延3年7月26日(1750年8月27日))は、江戸時代の大名、老中。武蔵忍藩主。
幼名は善七郎。忍藩主で老中を勤めた阿部正武の長男。老中在任中は正徳金銀鋳造の総奉行(1714年 - )、ならびに家継と八十宮吉子内親王(霊元法皇の姫)の婚姻の総奉行(1716年)を担当している。享保の改革の直前に老中を辞任した。その後30年以上は藩政に専念する。
正喬の代ごろから忍藩はとみに財政難に見舞われるようになり、1742年8月2日には江戸期を通じて最大の洪水が忍を襲う。すなわち利根川と荒川が決壊し、藩領10万石のうち6万石が収穫不可になる未曾有の災害を受け、幕府より1万両を拝借を余儀なくされている。
隠居後、家督は正喬の弟で分家の旗本・阿部正晴の長男正允がついだ。
[編集] 略歴
- 1672年(寛文12年) 生誕
- 1699年(元禄12年) 9月28日、奏者番兼寺社奉行
- 1704年(宝永元年) 10月29日、忍藩相続。奏者番、寺社奉行辞任
- 1711年(宝永7年) 4月11日、老中
- 1717年(享保2年) 9月19日、老中辞任
- 1748年(寛延元年) 隠居
- 1750年(寛延3年) 死去、享年79