阪急600形電車
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600形電車(600がたでんしゃ)は、1926年(大正15年)に登場した阪神急行電鉄(→京阪神急行電鉄→阪急電鉄)の電車である。
[編集] 概要
川崎造船所(現・川崎重工業)で18両が建造された。日本初の全鋼製車両であり、この後、全国各地で同型車が登場した。
600形製造の前年の1925年(大正14年)、川崎造船所にて「510号」と呼ばれる全鋼車が試作されている。これは半鋼車である300形をベースに全鋼車としたもので、この実績を元に600形が製造された。ただし510号そのものは、新製の翌年に追突事故を起こし、被害はほとんどなかったとされているものの、廃車(600形の1両として代替新製)されている。余談だが、阪急が頑なまでに「一段下降窓」を使い続けているのは、上昇窓車だった510号が追突事故を起こした際、上げていた窓がはずみで落ち、女性が髪を挟まれたため、とされている(阪急電鉄株式会社発行「阪急の車両」より)。
登場時は、電動車は600形(C#600~609)、制御車は800形(C#800~807)であったが、800形の一部は電装されたほか、一部はクロスシート化されて690形となり(数年後に元の車番に復旧)、番号体系は極めて複雑となった。
戦後、車体更新の際に番号を整理し、電動車は600形、制御車は650形となったが、宝塚線への転用時に650形も電動車化され、全車両が電動車となった。
架線電圧1500Vへの昇圧工事の際、制御機器類は610系と同一のものを新製して取り替えられ、650形は再び制御車化されるとともに、一部の車両の運転台が撤去された。
その後は今津線で使用されたが、列車無線取り付け時に一部の車両を除いて工事対象外とされた為、610系の中間車として使用される様になり、1975年(昭和50年)に廃車された。
602号は、川崎重工業兵庫工場で保存されている。