開平橋
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開平橋(かいへいはし)は、埼玉県上尾市と川越市の境で荒川にかかる橋である。埼玉県道51号川越上尾線を通す。すぐに西に入間川に架かる入間大橋がある。現在の橋は長さ818.6m、幅10m。
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[編集] 1883年の橋
後の開平橋の付近には江戸時代から平方河岸があって、渡船場を兼ねていた。この渡し場は平方村にあって上尾宿と川越の城下町を結ぶ道にあたっていた。
明治時代になって地元の飯田甚左衛門らが出願して、はじめて橋が架けられた。1883年に完成した開平橋は、全長(92.7m)、幅9尺(2.73m)の舟橋で、杭につないだ10艘の舟の上に橋を載せたものであった。橋の位置は今より少し川上にあった。建設の材料と費用は近くの神社の木を伐採して得た。橋の一部が開閉して、荒川を通る船が通行できるようになっていた。
[編集] 1891年の橋
最初の開平橋が損傷したため、1891年に新たに舟4艘と橋脚10組(各2本)で支える橋に架けなおされた。長さ62m間(112.2m)、幅2間(3.6m)あった。この橋はもはや船の通行を許さず、荒川舟運は手前の平方河岸までとなった。終着点になった平方河岸は、しだいに鉄道に輸送を奪われつつも、最後の繁栄を迎えた。
[編集] 1911年頃の橋
再び大水で壊れた開平橋は、1911年頃に架けなおされた。 このときに舟は廃され、板橋になった。大水のときに水面下に沈む冠水橋で、水位が上がると橋の板を取り外さなければならなかった。この橋は1932年、1933年頃に破損したが、日中戦争の戦時下にあって架け替えが認められなかった。
[編集] 1952年の橋
1952年に新しい開平橋が架けられ、2月16日に開通式が行われた。これは長さ91メートル、幅4.5メートルの木橋あった。水位が上がると冠水することは前と同じであったが、バスやトラックの通行が可能であった。1958年9月に流失した。
[編集] 1959年の橋
1959年に鉄筋コンクリートの橋脚に架け直した。橋桁と橋面は木製で、増水すると水をかぶるのは前と同じであった。水没時に流されないようにするため、欄干がなかった。人や車の転落事故が絶えず、応急に簡易な欄干をあてた。1977年に新しい開平橋ができてから、1985年に撤去された。
[編集] 1977年の橋
1977年4月1日に、今までの橋より川上の位置に総工費14億5655円をかけてコンクリート橋が架けられた。建設には1971年から6年かかった。これが2005年現在ある開平橋である。長さ816.8メートル、幅10メートルある。
[編集] 参考文献
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史』(第七巻 通史編 下)、上尾市、2001年。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史』(第八巻、別編1、地誌)、上尾市、1997年。
- 上尾百年史編纂委員会・編『上尾百年史』、上尾市、1972年。
- 石島潔・小沢照雄・国島武平・福田正二郎(執筆・編集)『平方史話』、明治百年記念顕彰建設委員会、1971年。