長尾政景
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長尾 政景(ながお まさかげ、大永6年(1526年)? - 永禄7年7月5日(1564年8月11日))は戦国時代の武将。長尾房長の子で、上杉景勝の実父。
長尾景虎(上杉謙信)の親戚で、上田長尾氏の当主であり坂戸城主である。妻は上杉謙信の姉仙桃院。天文6年(1537年)頃に婚約が成立したという。 2人の間には二男二女がいる。(一男義景(早世)、二男景勝、一女は上条政繁室、二女は上杉景虎室 ※最近の研究では一女が上杉景虎室、二女が上条政繁室だったのではないかとも言われている)
天文16年(1547年)、長尾晴景と謙信(当時は長尾景虎)が対立すると政景は晴景側につく。政景が晴景の妹を娶っていたことや上田長尾と対立していた古志長尾家が謙信側だったことなどからであろう。翌年に晴景は謙信に家督を譲って隠居した。 1550年、謙信が家督を継いだことに不満を持って謀反を起こすが、翌1551年、謙信の猛攻に遭って降伏した。以後は謙信の重臣として活躍し、1556年に家督を捨てて出家しようとする謙信を説得しておし止めるなど様々な功を挙げた。
1564年7月、坂戸城近くの野尻池で急死した。享年38。 これには舟遊びの最中、酒に酔っていたため溺死した説、謙信による暗殺説、宇佐美定満による謀殺説などいくつかの説があるが真相は分からない。同船していた家臣(国分彦五郎)の母の後日談では引き揚げられた政景の遺骸の肩下には傷があったという。彦五郎はこの事件で一緒に死んでいる。