長尾晴景
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長尾 晴景(ながお はるかげ)は、越後の戦国大名、越後守護代である。
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時代 | 戦国時代 | |||
生誕 | 永正6年(1509年) | |||
死没 | 天文22年2月10日(1553年3月23日) | |||
別名 | 弥六郎(幼名)。定景(別名) | |||
諡号 | 道一 | |||
戒名 | 千厳院殿華岳光栄 | |||
官位 | 弾正左衛門尉 | |||
氏族 | 長尾氏 | |||
父母 | 父:長尾為景。母:虎御前 | |||
兄弟 | 弟:上杉謙信。姉:仙桃院 | |||
子 | 養子:上杉謙信(長尾景虎) |
- 父は長尾為景、母は不詳(虎御前とも)。
[編集] 生涯
室町幕府将軍足利義晴から偏諱を与えられ「晴景」と名乗る。天文5年(1536年)に父の為景から家督を譲られ、春日山城主となる。越後国内が不穏になると、城下の寺院へ入門していた弟の長尾景虎(上杉謙信)が元服して栃尾城主となった後には家臣の一部の間で景虎の擁立を望むようになり、家中分裂の危機を迎える。
そこで、天文17年(1548年)には越後守護である上杉定実の仲介のもとに、景虎に家督を譲って隠居する。天文22年(1553年)に没、享年42。
病弱な人物であったと伝えられている。また、後年一部の史書には景虎が晴景を殺害して家督を奪ったとする記述があるが、根拠のない話である。