足立正生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
足立 正生(あだち まさお1939年 - )は、日本の映画監督、運動家。若松プロダクション所属。喧嘩が強い。
目次 |
[編集] 人物
福岡県出身。 日本大学芸術学部映画学科中退。日大新映研こと日本大学新映画研究会所属。在学中に「非公開を目的とした映画」として35㎜フィルムで自主制作された『鎖陰』によって、内ゲバや日本赤軍の勃興期に一躍学生映画界の寵児となる。『鎖陰』はその一部がハプニングという形で上映され話題となり、アートシアター新宿文化で再上映され学生が長蛇の列を作る。日本大学中退後にVAN映画科学研究所に参加。その時期には城ノ内元晴、赤瀬川源平などと共に活動している。 松田政男に紹介され若松孝二の独立プロダクションである若松プロに加わる。爾来若松孝二とは公私ともに強い結びつきを保ち続けている。
若松プロダクションにおいては大和屋竺らと共にピンク映画の脚本を量産。(脚本に際しては「出口出」という筆名も用いている。)その脚本には革命と性が一貫したモチーフとして描かれ、常に実験映画と運動に同一線上において関わり続けた点で特殊な作家兼運動家である。唐十郎や山下洋輔らと共に若手芸術家の筆頭として注目される事になる。
監督としては『堕胎』1969年でデビュー、永山則夫を題材にした『略称・連続射殺魔』を佐々木守、松田政男らと共同制作し風景論を展開。 1971年にはカンヌ映画祭の帰路、若松孝二とパレスチナへ渡り、日本赤軍、並びにPFLPのゲリラ隊に加わり共闘しつつ、パレスチナゲリラの日常を描いた『赤軍PFLP・世界戦争宣言』を撮影・製作。
1974年以降、映画活動を一時捨て、一兵卒として重信房子率いる日本赤軍に合流、全世界指名手配される。1997年には重信房子や岡本公三ら四人と共にレバノン・ルミエ刑務所にて逮捕抑留。2000年3月刑期満了、身柄を日本へ強制送還され、再び本国にて創作活動を再開。国内において35年ぶりに岡本公三をモデルに描いた『幽閉者 テロリスト』でメガホンを取った。
[編集] 主な作品
- 『椀』(1961年)
- 『鎖陰』(1963年)
- 『堕胎』(1966年)
- 『銀河系』(1967年)
- 『絞死刑』(1968年、出演のみ)
- 『女学生ゲリラ』(1969年)
- 『赤軍PFLP・世界戦争宣言』(1971年)
- 『略称・連続射殺魔』(1975年)
- 『幽閉者 テロリスト』(2007年公開予定)
[編集] 著書
『映画/革命』(河出書房新社 /2003年)自伝