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赤松 政秀(あかまつ まさひで、永正7年(1510年) - 元亀元年(1570年))は、戦国時代の武将。
赤松氏の庶流の一族で、父は赤松村秀。本家の当主・赤松晴政の従兄弟に当たる。 子に斎村政広がいる。
智勇に優れた人物で、浦上政宗に追われた晴政を保護し、1566年に政宗を討つなど、赤松氏の再興に尽力した。さらに別所安治と手を結んで、黒田職隆(黒田官兵衛の父)や小寺政職らと戦い、勢力拡大に狂奔したが、1570年に死去した。突然の死去であったため、毒殺されたという説もある。