出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤原 為房(ふじわら の ためふさ、永承4年(1049年) - 永久3年4月2日(1115年4月27日))は、平安時代後期の公家。父は藤原隆方。母は平行親の娘。子に為隆(吉田家・万里小路家祖)、顕隆(葉室家祖)、僧寛信らがいる。
後三条・白河・堀河の各天皇の下で蔵人をつとめ、鳥羽天皇の下で蔵人頭となった。その後、遠江守・加賀守・尾張守・内蔵頭などを歴任し、正三位参議に至った。博学で実務にあたり、のちの勧修寺流一門の繁栄の基礎を築いた。
日記に「大府記」がある。大江匡房・藤原伊房と共に「前の三房」と称される。