蒲池鑑久
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蒲池 鑑久(かまち あきひさ、明応3年(1494年) - 天文12年(1543年))は筑後南部の大名。蒲池治久の子で、蒲池鑑盛の父。武蔵守。正式な名のりは源鑑久(みなもと・の・あきひさ)。
蒲池氏15代、後蒲池6代。
柳川城を築城し、蒲池城から蒲池氏の本拠を移した。大友氏に属し、筆頭大名として筑後の城持大名を統率したという。
弟の蒲池親広は、山下城を本拠地として分家し、柳川の蒲池本流を下蒲池と呼ぶのに対して、山下の蒲池分流は上蒲池と呼ばれる。この場合の上、下とは、上=東、下=西と方向を指し、柳川は西にあるため本流が下蒲池、山下は東にあるため分流が上蒲池という。