苻雄
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苻雄(ふゆう、Fú Xióng 生没年不詳)は、五胡十六国時代の前秦の皇族で、前秦の創始者の苻洪の末子である。字は元才。諡号は魏敬武王。また第3代皇帝の苻堅(天王)の父でもある。
[編集] 生涯
幼少時から聡明で兵法学を学び、知略に優れて寛大だったので、父の苻洪の期待されていたという。 同時に兄で初代皇帝の高祖・苻健にも信頼されていたという。 ある時、父の苻洪が些細なことで、まだ少年だった孫の越王・苻生(苻健の三男)が縁起が悪い隻眼ということでこれを虐待していたのを彼は見るに忍びなく「お父上、長生(苻生の字)はまだ少年です。ここでは長生をお労りなされるべきです」と穏やかに諌めて、甥の苻生の立場になって懸命に庇ったという。 だが、彼は若くして父よりも先に他界したために、父の苻洪を嘆き悲しませたという。
後に次男の苻堅が即位すると、亡父の今までの偉業を称えて、文桓皇帝として諡号を追贈したという。
[編集] 宗室
[編集] 息子
カテゴリ: 中国史の人物 | 魏晋南北朝時代の人物