自由の息子達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
自由の息子達(Sons of Liberty)とは、アメリカ独立戦争の以前に北米のイギリス植民地の愛国者(Patriot)が名乗った通り名、もしくは自称である。
また、ボストン茶会事件において、茶箱を海に放り込んだ集団を「自由の息子達」と呼ぶ場合もある。
目次 |
[編集] 起源
1765年、印紙法が議論された会議において、初めてこの「自由の息子達(Sons of Liberty)」という言葉が使われた。
印紙法擁護派のチャールズ・タウンゼントが、「我らが世話をして入植した子供達は、我らの寛容さに増長している。それでいて我らの武力で守られているのだ」と演説したのに対し、植民者擁護の立場にあったアイザック・バーレは植民地のアメリカ人は「自由の息子達(Sons of Liberty)」であると切り返し、アメリカ人は新法(印紙税)に抵抗するだろうと警告した。
このアイザック・バーレの演説から、英国王による課税に抵抗するアメリカ人たちを包括的に意味する言葉として、「自由の息子達」が広く使われるようになった。
[編集] その後の概要
やがて、この「自由の息子達」という言葉は、各地の様々な抵抗運動・抵抗集会・抵抗グループで、標語的に利用されるようになった。
全体を統括する組織があったわけではない。自身が「自由の息子達」であると思えば、それで「自由の息子達」の一員であったのである。これは、積極的な活動はしていないが、イギリス支配に反感を持つ植民地人に、精神的な連帯感をもたらした。
ただし、王党派のアメリカ人にとり「自由の息子達」は支持できかねる存在であり、王党派は彼らを「暴力の息子達」、あるいは「邪悪な息子達」と呼んだ。歴史的には「自由の息子達」を、テロリズムの一種とする見解もあるが、「自由の息子達」は殺人等、過度の暴力的行為を正当化していたわけではない。
「自由の息子達」を集合名詞としてではなく、構成員を伴う地下組織・結社を指しているものとして捉える場合もある。しかし、一般にはイギリス本国の支配に抵抗する人々を、包括的に指している言葉である。よって、文脈によっては「自由の娘達」等、微妙に異なる表現も多数存在する。
[編集] 自由の息子達の会
(The Association of the Sons of Liberty)
11月29日、ニューヨークにおいて「今回の茶の輸送に関わっているものはアメリカの自由に対する敵対者である」という主張の支持者達が、ニューヨークの自由の息子達の会(The Association of the Sons of Liberty of New York)の設立を呼びかけ設立された。