老斤里事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
老斤里事件 | |
---|---|
{{{picture-type}}} | |
{{{caption}}} | |
各種表記 | |
ハングル: | 노근리 사건 |
漢字: | 老斤里 事件 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
{{{hiragana}}} |
片仮名: (現地語読み仮名): |
ノグルリ=サコン |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
ローマ字転写: | Nogeulli Sageon |
老斤里事件(ノグンリじけん)は1950年7月に起きた米軍による韓国民間人虐殺事件。
朝鮮戦争のさなか北朝鮮軍の侵攻を防御していた米第7騎兵連隊所属部隊は忠清北道永同(ヨンドン)郡黄澗(ファンガン)面・老斤里の京釜線鉄橋付近にいた韓国人避難民のなかに北朝鮮兵が混じっていると疑い、避難民を鉄橋の上に集めて空軍機が機銃掃射を行い、逃げたものは米兵が追い詰めて射殺した。このため約300名の韓国人民間人が虐殺された。
長く伏せられていたが、1994年に韓国人生存者が著書を出版、1999年9月9日AP通信が大々的に報道した。同年10月29日在韓米軍が現地調査を実施し、2004年には事件の犠牲者の名誉を回復する法案が韓国国会を通過した。韓国における反米軍感情が高まる原因のひとつとなった。
しかしながら、朝鮮戦争では韓国軍・朝鮮人民軍双方による住民虐殺、あるいは韓国人によって共産主義者と烙印を押された市民の処刑が数多く行われたという記録や証言もあり、その正確な数字は把握されていないが、戦争による死者が100万とも200万とも言う状況で、米軍の事件にだけ固執する韓国人を疑問視する意見もある。
[編集] 外部リンク
- 老斤里の虐殺
- Kill 'em all(英語)