織田隆弘
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織田 隆弘(おだ りゅうこう、1913年2月7日 - 1993年12月31日)は、青森県弘前市出身の高野山真言宗大僧正。新宿区四谷の金鶏山真成院の前住職。
真言宗が修験道を取り入れたことにより衰退した正純密教を復興させ、迷信や病気、邪教に迷う衆生の済度に尽力した。
正純密教は、宇宙の真理を人格化した大日如来を本尊とする、自然科学をも包含するスケールの大きい教義であった為、その難解さから長らく塵に埋もれていた。しかし、科学技術の進歩・発展により宇宙が身近になった現代において、正純密教はようやく衆生にとって理解され易い仏教となった。この点で、正純密教は科学と共存できる最も進化した大乗仏教であるといえよう。
隆弘は、自らの実体験と空海著『即身成仏義』に書かれている「六大無碍にして常に瑜伽なり、四種曼荼各々離れず、三密加持すれば速疾に顕わる、重々帝網なるを即身と名づく」から、正純密教こそ人類を救済する絶対他力易行道であると確信し、加持によって現世利益、癌を始めとする難病治癒が可能であることを実証した。
1975年、即身成仏を目的とした正純密教を実践する真言宗易行派密門会を創立し、以来、難病を仏縁として密教の救済力によって救われた人は数知れない。
1984年に、青森市に宗派を超えた(キリスト教等も含む)昭和大仏(日本最大の青銅製大日如来像)を建立した。
[編集] 略歴
- 1934年:高野山に登り、入道。
- 1938年:高野山大学選科修了。
- 1942年:四谷の金鶏山真成院住職。
- 1947年:高野山青森別院創建。
- 1972年:真成院復興、四谷霊廟完成。
- 1974年:高野山学修灌頂入壇(大阿闍梨)。
- 1975年:密門会創立。
- 1884年:青森市に昭和大仏建立(青龍寺創建)。
- 1991年:高野山真言宗大僧正。
- 1992年:青龍寺金堂建立、五重塔建立発願。
- 1993年:死去。