緑嶌友之助
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緑嶌友之助(みどりしま とものすけ、1878年(明治11年)1月12日 - 1952年(昭和27年)12月16日)は、石川県上新川郡(現在の富山県滑川市)出身の元大相撲力士。最高位は小結。本名は高木友之助。
[編集] 来歴
初めは京都相撲に入門したが兄弟子達にいじめられてすぐにやめた。後に12代目春日山親方(十9・朝日森万藏)に入門し東京では明治31年1月幕下付出で初土俵。1901年(明治34年)5月新十両、1902年(明治35年)5月新入幕。約5尺5寸、24貫の小兵だが力が強く吊り寄りを得意とした。1908年(明治41年)5月小結。
大関駒ヶ嶽に強く(双葉山いわく「儂がいたから駒ヶ嶽は横綱になれなかったんだ」と言ったそうである)大事な場面で何度も倒した。1914年(大正3年)1月には横綱常陸山から金星を獲得。
1915年(大正4年)6月2勝8敗と大きく負け越して引退、年寄立浪を襲名して独立した。親方としての手腕が凄まじく「立浪三羽烏」と呼ばれた双葉山、羽黒山の2大横綱、名寄岩の1大関をはじめとした数多くの名力士を育てた。晩年の弟子には後に「立浪四天王」と呼ばれる若羽黒、時津山、安念山、北ノ洋がいる。1952年(昭和27年)12月16日74歳で没。弟子の羽黒山と双見山の岳父だが双見山は後に離婚した。