結城政勝
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結城 政勝(ゆうき まさかつ、文亀3年(1503年) - 永禄2年8月1日(1559年9月2日))は下総国の戦国大名。結城氏16代目当主(ただし、実際には17代目にあたる)。結城政朝の子。六郎。左衛門督。
従来1527年、父から家督を継承したとされてきたが、近年では政直という兄がおり、その死をうけて天文年間初め頃(1532年前後)に結城氏を相続したとされている。家督相続後は父同様、積極的な領土拡大政策を行ない、佐竹氏や小田氏、宇都宮氏とたびたび抗争し、領土を下総から下野、さらには常陸にまで拡大した。しかし政勝の最大の功績は領土拡大よりも有名な分国法である「結城氏新法度」を制定したことにあった。この法は、飲食や衣類にまで及ぶ具体的な規定や、喧嘩口論に関する罰則などが定められた斬新的なものであったと言われている。
政勝は跡継ぎに恵まれず、唯一できた実子・結城明朝も1548年に父に先立って病死。そのため一族の結城晴朝を養嗣子として家督を譲っている。