紫雲丸
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紫雲丸(しうんまる)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営する鉄道連絡船の宇高連絡船で使用されていた船舶である。
1950年(昭和25年)と1955年(昭和30年)の2度にわたり衝突事故により沈没し、どちらも死者を出した。特に1955年の事故は死者168名を出し、国鉄戦後五大事故の一つに挙げられる大惨事となった。いずれものちに引き揚げられて復旧されている。詳しくは紫雲丸事故を参照。
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[編集] 建造の目的
太平洋戦争後、宇高連絡船は輸送量が増加し、従来の船舶では需要の増大に対応できなくなったことから、大型船の導入が計画され、1946年(昭和21年)から3隻の大型船の建造が進められた。
「紫雲丸」はその3隻の中で最初に竣工した船舶である。1947年(昭和22年)に就航した。その後、翌年までに同型の「眉山丸」「鷲羽丸」も竣工した。この3隻の船舶は「紫雲丸型」と呼ばれるようになった。宇高航路においては、初の車載客船でもあった。
[編集] 主要諸元
- 総トン:1449t
- 製造所:播磨造船所(現・石川島播磨重工業)
- 全長:76.18m
- 全幅:13.2m
- 喫水:3.5m
- 定員:1500名(立席含む)
[編集] 製造・運航に関する年表
事故の詳細については紫雲丸事故を参照。
- 1946年8月16日 起工。
- 1947年3月10日 進水。
- 1947年6月9日 竣工。
- 1947年7月6日 就航。
- 1950年3月25日 鷲羽丸と衝突し沈没、死者7名。引き揚げ復旧し、再就航。
- 1951年8月高松港内で「第二ゆす丸」と衝突。後日レーダー設置。
- 1952年4月高松港外で捨石に接触。後日ジャイロコンパス設置。
- 1952年9月高松港内で「福浦丸」と接触。
- 1955年5月11日 宇高丸と衝突し沈没、死者168名。いわゆる紫雲丸事故。
- 1955年11月16日 引き揚げ復旧し、「瀬戸丸」と改称して再就航。
- 1966年6月17日 廃船。
- 1966年12月16日 瀬戸内開船工業所に売却処分。
[編集] 事故
- 詳細は紫雲丸事故を参照。
当船の名前は高松市にある「紫雲山」に因んでいるが、就航時から「死運丸」と囁かれていた。その名前ゆえか、就航からわずか9年で5件の事故(そのうち2件は死亡者を発生させた事故)を起こしているというのは異様でさえある。