簗田政助
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簗田 政助(やなだ まさすけ、生没年不詳)は、古河公方家の家臣。父は簗田持助(政助は4男)、兄に簗田成助がいる。簗田高助の実父。兄・成助の隠居によって家督を継いだ。
第2代古河公方である足利成氏の側近として仕えていたが、政氏の嫡男足利高基が古河公方の地位を巡って父親と争った際に自分の嫡男の高助もこれに関与していた事を知り、廃嫡・義絶する。だが、これを知った兄・成助の怒りを買い、高助を自分の養子として簗田氏の当主を継がせる事としたために、逆に政助が当主の座を追われることになる。
親子・兄弟の確執は数年にわたって続いたものの、永正15年(1518年)に政氏が高基に家督を譲って引退すると、政助も関宿城を高助に譲って、政氏の隠居先である武蔵国久喜に随ったという。その後については、某年3月6日没としか判明しないものの大永年間に高基が政助のために所領を与えたと言う記録があるため、そのころまでは健在であったようである。
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