出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
篠原 一孝(しのはら かずたか、永禄4年(1561年) - 元和2年7月22日(1616年9月3日))は前田氏の重臣。出羽守。前田利家の妻まつ(芳春院)の従兄弟篠原長重の養子で、妻は利家の弟佐脇良之の娘(良之の死後、利家の養女となっていた)。義弟に篠原長次。
若い頃から利家に仕え、北陸平定戦、末森城攻防戦、小田原征伐、大阪の役などに部隊長として従軍している。大阪で死去した利家の棺を加賀に帰すなど、よく付き従った。石垣普請の名人でもあり、金沢城の河北門などは彼の普請によるものだといわれている。
現在の石川県金沢市出羽町は出羽守であった一孝の屋敷があった場所である。