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穆帝(ぼくてい、343年-361年、在位は344年-361年)は、東晋の第五代皇帝。姓は司馬、名は聃、字は彭子。第四代皇帝・康帝の子。廟号は孝宗。
344年、父の康帝が死去したため、わずか2歳で即位することとなる。このため、母親の褚太后や重臣が政務を担ったが、やがて実権は荊州に勢力を持つ軍閥の桓温に牛耳られることとなった。その桓温は、穆帝の時代に四川地方に建国されていた成漢を滅ぼし、356年には一時的にではあるが洛陽を奪回するなど、軍事面において大きな戦果を挙げている。
361年、数え年19歳の若さで亡くなった。
- 東晋の皇帝
- 第5代:344年 - 361年
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- 先代:
- 康帝
- 次代:
- 哀帝