神奈川県立小田原高等学校
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神奈川県立小田原高等学校(かながわけんりつおだわらこうとうがっこう)は、単位制による全日制普通科、単位制による定時制普通科を持つ高等学校。県下有数の進学校であり、神奈川県西部を代表する名門校である。所在地は神奈川県小田原市城山。小田高(おだこう)という通称で呼ばれている。前身である旧・小田原高校の正式な創立年は1900年(明治33年)旧制神奈川県第二中学創立時とされているが、その前身は1822年(文政5年)に小田原藩が創設した藩校・集成館(稽古所ともいう)であり、実質的には県内最古の高校である。それだけのこともあり、かなりボロい。ただし、2007年(平成19年)の年度内に、現在の校庭の場所に新校舎ができる。現在建設中。
神奈川県立小田原高等学校 | |
創立 | 1900年(明治33年)創立の小田原高校と 1903年(明治36年)創立の小田原城内高校が統合し 2004年(平成16年)に開校 |
教育課程 | 単位制による全日制 単位制による定時制 |
設置学科 | 普通科 |
所在地 | 〒250-0045 |
神奈川県小田原市城山3-26-1 | |
電話番号 | 0465-23-1201 |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 独特な伝統
創立100年を越える小田原高校は生徒の自主性を重んじる。そのため他の高校と一風変わったところがある。
(通った年代により内容が異なる場合があります。適宜追加・修正してください。)
・文化祭(小田高祭) 毎年6月に行われる(かつては10月に行われていたが、大学共通一次試験の開始に伴い昭和54年より6月開催に変更された)。一般的な模擬店ではなく、各クラス「演劇」をする(2~3年。1年生は壁画の展示)。 内容はその年に流行ったドラマ・映画が中心で、完全オリジナルの演劇もある。中にはハイレベルな演劇もあり、観客の涙を誘うものもある。
[編集] その他・逸話
・小田原駅北西の八幡山にあり、長い階段(通称「百段坂」)を上って通学する。百段坂を上りきったところから見える小田原市街の眺めは秀逸である。卒業生、殊に浪人中の卒業生は久しぶりに訪れた百段坂のキツさにあえぎ、またそこからの景色に感銘をうけるという。
・校舎は小田原城跡に建てられているため、グラウンドを歩くとまれに城からと思われる瓦などを見つけることが出来る。
・新校舎建設の際、建築予定地から城の遺跡が発見されたため、建築が延期になった。遺跡保存などの声も聞かれる中、新校舎建築が決まった。(現在建築中)
・会議室内には横山大観の絵。体育館には晩年を小田原で過ごした山県有朋の「至誠無息」・東郷平八郎の「堅忍不抜」と書かれた扁額が飾られて、校歌の歌詞にもなっている。ただし、山県有朋は近代日本の民主化を妨げてきた男として、あるいは「閥族・官僚の総本山」「軍国主義の権威」として嫌い続けている向きも多いので、ある日本史教師が他校に転任する際の挨拶で「いつかあの額をはずしたかった」といって去って行った逸話もある。
・学校の裏道、弓道場沿いにある「LOVE LOVE ROAD」。その名の通り、恋人たちが通るための道で、未だにカップルができると、そこを通る流れがある。
[編集] 出身者
- 閑院宮春仁王(旧皇族)
- 永山時雄(通産省官房長、昭和石油化学社長 / 白州次郎との「通産省」創設のやりとりが知られている)
- 内藤誉三郎(文部大臣、文部事務次官、大妻女子大学学長)
- 久能靖(フリーアナウンサー)
- 郷田ほづみ(俳優)
- 平光琢也(俳優)
- 山田太一(脚本家)
- 巻上公一(歌手)
- 合田雅吏(俳優)
- 小宮孝泰(俳優・元コント赤信号)
- 中村あずさ(俳優)(旧小田原城内高等学校)
- 黛まどか(俳人)(旧小田原城内高等学校)
- 大橋一彦(フジクラ社長)
- 真船一雄(漫画家)
- 石川雄規(プロレスラー)(本名・石川豊彦)
- ヨコミゾマコト
- 新谷保志(日本テレビアナウンサー)
[編集] 姉妹校
- ホイットマン高校(アメリカ合衆国)
- A.Y.ジャクソン高校(カナダ)