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この項目では第15代当主相馬盛胤の子について説明しています。相馬氏の第12代当主については
相馬高胤をご覧ください。
相馬 隆胤(そうま たかたね、天文20年(1551年) - 天正18年(1590年))は、戦国時代、安土桃山時代の武将。相馬盛胤(十五代)の次男。兵部大輔。
1563年に先代の中村城代の草野直清が謀反を起こし滅ぼされた後、後任の中村城代となって父・盛胤や兄・相馬義胤を補佐する。武勇に優れた猛将だったが、血気盛んで慎重さを欠く猪突型の性格だったらしい。それが逆に災いし、1590年、伊達氏との戦いで乱戦に劣勢を顧みず突撃して孤立、戦死してしまった。