田村邦栄
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田村 邦栄(たむら くによし)は、陸奥一関藩の第10代藩主。
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時代 | 江戸時代後期(幕末)、明治時代 | |||
生誕 | 嘉永5年5月20日(1852年7月7日) | |||
死没 | 明治20年(1887年)2月26日 | |||
別名 | 啓之進(幼名)、田村栄顕(別名) | |||
戒名 | 常昌院殿 | |||
官位 | 従五位下、子爵 | |||
藩 | 陸奥一関藩主 | |||
氏族 | 石川氏、田村氏 | |||
父母 | 父:石川義光、母:守屋氏 養父:伊達慶邦 |
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兄弟 | 弟:田村崇顕 | |||
妻 | 正室:田村顕膜の次女・照 | |||
子 | 1男4女 |
1852年5月20日、石川義光の次男として陸奥国伊具郡角田にて生まれる。1863年10月に第9代藩主の田村通顕が本家の仙台藩主・伊達慶邦の養子となったため、慶邦の養子としてその後を継いで一関藩主となった。1868年の戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦ったが、敗れてしまう。そして米沢藩や仙台藩が降伏すると、同じく降伏したが、戦後に処罰として3000石削減の上で家督を弟の田村崇顕に譲って強制隠居することを余儀なくされた。
1869年9月に罪を許されて、その後は新政府に出仕し、宮中勤番や海軍御用掛などを歴任する。1882年には弟の崇顕に譲っていた家督を再び継ぐことを許され、1884年に子爵となった。1887年2月26日に死去。享年36。
墓所:東京都港区の青山墓地。
- 田村氏(一関藩10代)藩主
- 1863~1868
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- 先代:
- 田村通顕
- 次代:
- 田村崇顕