田村崇顕
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田村 崇顕(たむら たかあき)は、陸奥一関藩の第11代(最後)の藩主。
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時代 | 江戸時代後期(幕末)、明治時代、大正時代 | |||
生誕 | 安政5年11月20日(1858年12月24日) | |||
死没 | 大正11年(1922年)12月11日 | |||
別名 | 鶴太郎、鎮丸(幼名) | |||
官位 | 従五位下、右京大夫 | |||
藩 | 陸奥一関藩主 | |||
氏族 | 田村氏 | |||
父母 | 父:石川義光、母:守屋氏 養父:伊達慶邦 |
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兄弟 | 兄:田村邦栄 | |||
妻 | 正室:なし、側室:三上氏、松田氏 |
1858年11月20日、石川義光の四男として角田にて生まれる。1868年の戊辰戦争で兄で第10代藩主である邦栄が強制的に隠居となったため、伊達慶邦の養子としてその後を継いで藩主となった。1869年3月に版籍奉還を行って知藩事となっている。1879年2月には警視方御用掛となった。1882年、兄の邦栄に家督を返還している。
1922年12月11日に死去。享年65。墓所:東京都港区の青山墓地。
- 田村氏(一関藩11代)藩主
- 1868~1871
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- 先代:
- 田村邦栄
- 次代:
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