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王甫(おうほ、? - 222年)は、中国、後漢末から三国時代にかけての政治家。字は国山。子は王祐、従兄に王士がいる。
風貌が凛々しく、人物評価や政治手腕に優れていた。はじめは劉璋の家臣であったが、劉備が後に蜀を奪うと、その家臣として仕え、綿竹の令となった。三国志演義においては関羽の補佐を務め、219年に麦城で関羽が呂蒙に殺されると、その後を追って櫓から身を投げて自殺したことになっているが、正史においては劉備の呉討伐に従い、222年、劉備が呉軍に夷陵の戦いで大敗したとき、戦死した。