源有仁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
源 有仁(みなもと の ありひと、康和5年(1103年) - 久安3年2月13日(1147年3月16日))は、平安時代後期の公家。後三条天皇の皇子輔仁親王の第二皇子。母は源師忠の娘。妻は藤原公実の娘。花園左大臣とも称された。皇族時代は有仁王と称する。
始め白河上皇の養子となり皇嗣と目されたが、上皇の孫鳥羽天皇に顕仁親王(後の崇徳天皇)が生まれたことから元永2年(1119年)源姓を賜り臣籍降下。保延2年(1136年)、官位は従一位左大臣に至り、花園離宮を賜った事から花園左大臣と呼ばれた。久安3年(1147年)2月3日に出家し、成覚と号した。その後間もなくして没した。
詩歌・管絃・書に秀で、また儀式や故実を集大成し、儀式書『春玉秘抄』『秋玉秘抄』を著している。また、洒落好みであり、公家の化粧・鉄漿・引眉の風習は、この人より始まると言われる。
[編集] 系図
─(71)後三条天皇┬(72)白河天皇┬(73)堀河天皇┬(74)鳥羽天皇┬(75)崇徳天皇─重仁親王 │ ├覚行法親王 └最雲法親王 ├(77)後白河天皇────→ ├実仁親王 ├覚法法親王 └(76)近衛天皇 │ └媞子内親王(郁芳門院) └輔仁親王─(源)有仁
カテゴリ: 平安・鎌倉時代の皇族 | 源氏 | 1103年生 | 1147年没 | 歴史関連のスタブ項目