渡辺明 (棋士)
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渡辺 明(渡邊 明、わたなべ あきら、1984年4月23日- )は、日本の将棋棋士。棋士番号235。東京都葛飾区出身。所司和晴門下。
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[編集] 人物
- 「小学生名人戦」を4年生で優勝(収録時は3年生であった)。
- 奨励会の頃からその風貌と才能が大山康晴を彷彿とさせるといわれ、タイトルに挑戦できる「大型新人」として注目を浴びてきた。
- 2000年4月に、史上4人目の中学生棋士になる(他3人は、加藤一二三、谷川浩司、羽生善治)。
- 2003年9月、史上3番目の若さ(19歳)で、タイトル戦(第51期王座戦)に初挑戦。棋界の第一人者、羽生に挑んだが、惜しくも2勝3敗で敗退した。
- 2004年12月28日、第17期竜王戦において、4勝3敗で森内俊之を下し、念願の初タイトルを獲得。
- 翌2005年11月30日には、木村一基七段の挑戦を4連勝で退け竜王初防衛、最年少での九段昇段を果たす。また、第13期銀河戦で全棋士参加棋戦初優勝(自身初の棋戦優勝)・第36期新人王戦三番勝負でも2連勝で初優勝に輝くなど充実の1年となった。
- 打倒羽生世代を掲げ、ときに歯に衣着せぬ過激な物言い様を見せるが、周囲からは大切な才能を潰すまいと温かく見守られている。
- また、プライベートの面では、2004年に同じ棋士の伊奈祐介の妹と結婚、同年、長男が生まれた。
- 竜王戦の挑戦者になったとき、記念扇子を作らなければならなかったが、書道が大の苦手だったらしく、最初はかなり字がガタガタだった。その後、将棋界の書道の達人、石橋幸緒に鍛えられ、以前より腕を上げた(NHKのトップランナーにて紹介される)。
- 趣味はゲーム(特に桃太郎電鉄)とスポーツ観戦。特に競馬が好きで、G1レースのテレビゲストに呼ばれたこともある。プロ野球チームは東京ヤクルトスワローズのファン。
- 近年はブログを始めており、掲載されているgooブログにおいてはアクセスIP数ベスト10の常連となる人気である。[1]
- 魔王、竜魔王、魔太郎という愛称がある。魔太郎の由来は藤子不二雄A作『魔太郎がくる!!』のキャラクターに似ていることである。
- 矢倉、対振り飛車、角換わりとあらゆる戦型において駒を繰り替えて『穴熊』にする戦い方を得意としている
[編集] 昇段履歴
- 1994年 6級(奨励会入会)
- 2000年4月1日 四段(史上4人目の中学生棋士)
- 2003年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級および竜王ランキング戦連続2回昇級)
- 2004年10月1日 六段(竜王挑戦)
- 2005年10月1日 七段(竜王獲得)
- 2005年11月17日 八段(竜王1期、昇段制度改正による)
- 2005年11月30日 九段(竜王2期、史上最年少九段)
[編集] 主な成績
(2006年4月1日現在)
- 竜王戦 - 竜王(1組以上 - 2期)
- 順位戦 - B級2組
[編集] タイトル獲得
- 竜王 2期(第17期-18期)
登場回数 3回 獲得合計 2期
[編集] 一般棋戦の優勝歴
- 銀河戦 1回(第13期・VS森内俊之名人)
- 新人王戦 1回(第36回・VS千葉幸生五段)
優勝合計 2回
[編集] 将棋大賞
- 第30回(2002年度) 新人賞
- 第31回(2003年度) 敢闘賞
- 第32回(2004年度) 殊勲賞
- 第33回(2005年度) 優秀棋士賞、最多勝利賞
[編集] 記録(歴代1位のもの)
- 最年少九段(21歳7か月)
- 最速九段昇段(5年7ヶ月)
補足:最年少九段昇段資格者は1983年に名人位を獲得した谷川浩司で21歳2ヶ月であるが、当時の規定で名人位を獲得した翌年4月1日に九段昇段という規定(現在は獲得したその日に昇段)だったので、実際に九段に昇段したのは1984年4月1日のことで、その時、谷川は21歳11ヶ月だった。従って、谷川ではなく渡辺が最年少九段昇段者である。しかし、渡辺の初防衛戦だった第18期竜王戦の最中(2005年11月17日付け)に昇段規定が改正されて渡辺が八段となり、「防衛すれば最年少九段」のお膳立てがされたことは渡辺に合わせた話題作りという声もある。