清の盛政夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
清の盛 政夫(きよのもり まさお、1935年4月8日 - )は、大相撲の力士、年寄。最高位は前頭9枚目。秋田県横手市(旧平鹿郡大森町)生まれ。本名佐々木 政夫。のちに伊勢ヶ濱部屋の先輩である桂川質郎(檀崎質郎/木瀬親方)の婿養子となり檀崎 政夫。大正の幕内力士日本海忠藏の遠戚。
[編集] 来歴
清瀬川敬之助の伊勢ヶ濱部屋に入門し、1953年初場所で初土俵を踏む。1957年夏場所新十両、1959年春場所新入幕だったが、通算で幕内と十両を8往復した。四股名も初土俵から、佐々木→清ノ森→清勢川→清乃盛→清の盛と下の名前も含め度々改名している(幕内では「清ノ森」を名乗っていた時期が長く、「清の盛」の四股名では幕内を勤めていない)。色白で長身の痩せ型、美形であり女性人気があったが、痩せているのは太れない体質のためであった。技能力士であり素早い動きと足技を得意とした。十両優勝した場所に、平幕の佐田の山晋松と対戦し勝ったことがあるが、この佐田の山が幕内優勝してしまい、「幕内優勝より強い十両優勝」と話題になったことがある。最後の入幕を果たした場所に15戦全敗を記録している。
1967年夏場所に引退後は岳父から木瀬部屋を継承し、小結青葉山弘年、十両天剛山隆清を育てた。真面目で事務能力に長けているため、1996年からは協会理事も務めた。2000年退職。退職前に部屋の所属力士は黒瀬川国由の桐山部屋に移籍した。現在、出羽海一門の肥後ノ海直哉が木瀬部屋を再興したが、部屋としての連続性はない。しかし、名跡を譲った肥後ノ海とは交流を持っており、断髪式にも参加した。
[編集] 戦績
- 幕内成績 115勝170敗(19場所)