伊勢ヶ濱部屋
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伊勢ヶ濱部屋(いせがはまべや)は、日本相撲協会所属の相撲部屋。
熊ヶ谷部屋の元関脇清瀬川は、熊ヶ谷の後継者が敷島猪之助に決まったため、内弟子を連れて楯山部屋の預かりとなり、1929年の引退後に伊勢ヶ濱部屋を開いた。そのときすでに幕内に昇進していた幡瀬川邦七郎を関脇に、照國万藏を横綱に、ほかにも平幕優勝の備州山大八郎など、多くの関取を輩出した。1953年に照國が引退すると部屋を譲り自らは隠居したため、部屋の名称は荒磯部屋と改められた。この時期には、若瀬川泰二が小結になった。1961年の停年制導入により、伊勢ヶ濱が退職したので、元・照國の荒磯親方が伊勢ヶ濱を襲名、部屋の名称は再び伊勢ヶ濱部屋となった。この時期には清國勝雄が大関に、開隆山勘之亟が関脇に昇進した。また、稽古土俵を二面作るというユニークな稽古場にして、評判になった。1977年に照國が死去すると、元・清國の楯山親方が伊勢ヶ濱部屋を継承。先代から引き継いだ弟子の黒瀬川国由が小結に昇進。後に直弟子の若瀬川剛充が前頭筆頭まで昇進するなど、個性的な関取を多数輩出した。しかし、1994年1月場所に清の富士が幕下に陥落して以来10年以上も関取不在の状況が続いている。また、所属力士も2006年11月場所現在で僅か2人しか在籍していない。また、前・伊勢ヶ濱親方が2006年11月場所9日目で停年(定年)退職し、元前頭・和晃の若藤親方が8代目・伊勢ヶ濱を襲名し、部屋を継承した。しかし、現・伊勢ヶ濱親方も、先代の停年から僅か10ヶ月後の2007年8月に定年を迎える。後継者の見込みも立っていないため、現在も部屋の存続の危機に陥っていることに変わりはないようだ。
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[編集] 師匠
- 5代:伊勢ケ濱 勘太夫(元関脇・清瀬川敬之助/秋田)
- 6代:伊勢ケ濱 万藏 (元横綱・照國万藏/秋田)
- 7代:伊勢ヶ濱 清之輔(元大関・清國勝雄/秋田)
- 8代:伊勢ヶ濱 敏郎(元幕内・和晃敏郎/愛知)
[編集] 横綱・大関
[編集] 幕内
- 関脇
- 幡瀬川邦七郎(秋田)
- 備州山大八郎(広島)
- 開隆山勘之亟(秋田)
- 小結
- 若瀬川泰二(兵庫)
- 黒瀬川国由(東京)(現・桐山親方)
- 前頭
- 淺瀬川健次(大阪)
- 若瀬川剛充(山形)
- 斎須稔(福島)(一時期・寶国、現・世話人)
- 和晃敏郎(愛知)
- 天水山正則(熊本)
- 照櫻弘行(大阪)
[編集] 十両
- 清の富士猛(静岡)
- 清王洋好造(鹿児島)
- 桧山剛志(北海道)
- 白岩政俊(秋田)