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海北 綱親(かいほう つなちか、永正7年(1510年) - 天正元年(1573年))は浅井氏の家臣。善右衛門。
赤尾氏や雨森氏とともに「浅井三将」と称された。綱親は智勇兼備の名将で羽柴秀吉にもその実力を恐れられ「綱親こそが我が兵法の師である」と言わしめたほどの人物。赤尾清綱とともに浅井家3代にわたって仕えた重臣で軍奉行を務めていた。
しかし1573年、小谷城が織田信長に攻められて落城したとき、討ち死にした。
なお、江戸時代に画家として活躍した海北友松の父である。