浄土寺 (小野市)
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浄土寺 | |
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浄土堂(阿弥陀堂、国宝) |
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所在地 | 兵庫県小野市浄谷町2094 |
山号 | 極楽山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 薬師如来、阿弥陀如来 |
創建年 | 建久年間(1190年~1198年) |
開基 | 俊乗坊重源 |
別称 | |
文化財 | 浄土堂・木造阿弥陀如来及び両脇侍立像(国宝) 薬師堂・木造阿弥陀如来立像ほか(国重文) |
浄土寺(じょうどじ)は兵庫県小野市にある高野山真言宗の寺院。山号を極楽山と称する。本尊は薬師如来と阿弥陀如来、開山は俊乗坊重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)で、建久年間(1190年~1198年)の創建である。多数の文化財を所有する古刹として知られ、大仏様(だいぶつよう)建築の浄土堂と仏師快慶の大作「阿弥陀三尊像」は特に著名である。
目次 |
[編集] 札所
[編集] 起源
浄土寺の建つ地には、奈良時代の僧・行基の建立した前身寺院があったとも言われるが、実質的な開山は平安時代末~鎌倉時代の僧で、東大寺大仏・大仏殿の鎌倉復興に尽力した俊乗坊重源である。治承4年(1180年)、平重衡の軍勢による南都焼き討ちで、東大寺、興福寺は壊滅的な打撃を受け、東大寺の大仏殿も焼け落ちた。この大仏・大仏殿の再興の大勧進(総責任者)となったのが、当時61歳の重源であった。重源は大仏再興事業の拠点として、伊賀(三重県)、周防(山口県)など日本の7か所に東大寺の「別所」を造った。七別所のうちの「播磨別所」がこの浄土寺である。浄土寺の所在地は当時の地名を播磨国大部庄(おおべのしょう)といい、東大寺領であった。
境内には池を中心にして、西に重源当時の建築である浄土堂(阿弥陀堂)、東に室町時代の薬師堂(本堂)が建つ。この配置は偶然ではなく、東方浄瑠璃世界の教主・薬師如来と西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来の居所を意味している。
[編集] 浄土堂
浄土寺浄土堂(「阿弥陀堂」とも言う)は重源によって建てられたもので、本尊として快慶作の阿弥陀三尊の巨像を安置する。堂は建久5年(1194年)に上棟し、同8年(1197年)に完成供養を行ったと記録されている。渡宋経験のあった重源は、大仏殿をはじめとする東大寺諸堂の復興や各地の別所寺院の建築に際し、当時の中国(宋)の最新式の建築様式を採用した。これが現代において大仏様(かつては天竺様とも呼んだ)と呼ばれる建築様式で、鎌倉時代以後の寺院建築に大きな影響を与えたが、重源が手がけた大仏様建築で現存するものは他に東大寺南大門と同寺開山堂のみである。
堂は方三間〈正面・側面とも1辺に柱が4本立ち、柱間が3つあるという意味)の単純な平面構成になるが、1つの柱間が約6メートルもあり、内部空間は広大である。屋根は宝形造(ほうぎょうづくり、四角錐状の屋根形)、本瓦葺きで、平面の大きさの割に立ちが低いことと、屋根の形づくる線にほとんど反りがなく直線的であることが特色である。比較的地味な外観に比し、堂内部は貫(ぬき)、梁(はり)などの構造材をそのまま見せたダイナミックな構成になっている。天井を張らず、屋根裏に空間をつくらず、構造材をそのまま見せて装飾を兼ねていること、貫(複数の柱を貫通する水平材)を多用することなどが大仏様建築の特色である。
[編集] 阿弥陀三尊像
浄土堂中央の須弥壇に安置される。仏師快慶の代表作。巨大な三尊像で、阿弥陀如来は像高5m30cm(須弥壇を含めると7m50cm)、両脇侍の像高は各々3m70cmある。快慶は俊乗坊重源とは近い関係にあり、熱烈な阿弥陀信者だったことが知られている。快慶の作品には像高3尺(約1メートル)の阿弥陀像が多いが、本作は珍しい大作である。3体とも立像であり、各像の立つ蓮華座の下には雲が表わされている。阿弥陀三尊が西方極楽浄土から飛雲に乗って来迎する情景を表現したものである。作風には当時流行の宋風が顕著である。
浄土堂は境内の西、すなわち極楽浄土の位置する側に建てられ、阿弥陀三尊は東向きに立つ。堂の背後の蔀戸(しとみど、建物の内側または外側へ跳ね上げる形式の戸)を開けると背後からの光が入るようになっており、西日を受ける時刻になると堂内全体が朱赤に深く染まり、雲座の上に位置する三尊像が浮かびあがって来迎の風景を現すという劇的な光の演出効果を備えている。
[編集] 文化財
[編集] 建造物
- 浄土堂(国宝)― 1194年(建久5年)上棟、宝形造、本瓦葺、化粧屋根裏、背面蔀戸
- 薬師堂(重要文化財)― 1197年(建久8年)創建とされ、現在のものは焼失後の1517年(永正14年)築、宝形造、本瓦葺
- 鎮守八幡神社拝殿(室町時代中期)・本殿(重要文化財)― 1235年創建
- 開山堂― 創建不明、現在のものは焼失後の1520年築、宝形造、本瓦葺 県指定文化財
- 鐘楼堂― 創建不明、現在のものは1632年築、入母屋造 本瓦葺 鐘楼(県指定文化財)
- 不動堂
- 文殊堂
- 経蔵
- 宝持院
- 歓喜院
- 東山四国八十八ヵ所― 江戸時代後期(文化・文政)頃のもの
[編集] 美術工芸品
国宝
- 木造阿弥陀如来及び両脇侍立像― 1195年(建久6年)、快慶作、阿弥陀如来像高:530cm 両脇侍像高:370cm
重要文化財
- 木造阿弥陀如来立像― 1201年、快慶作、像高:266.5cm 来迎会(練り供養)用の仏像で、上半身裸形に作り、行事の際は実物の衣を着せた。
- 木造重源坐像― 1234年(天福2年)以前、像高:81.2cm
- 木造菩薩面 25面、鎌倉時代、快慶工房作。来迎会用の仮面。
- 銅製鉦鼓― 「東大寺末寺播磨浄土堂、建久五年(1194)十月十二日」の刻銘
- 銅製五輪塔― 1194年
- 黒漆蝶形三足卓 2基― 鎌倉時代初頭
- 絹本著色仏涅槃図― 鎌倉時代
- 絹本著色真言八祖像
その他の文化財
- 木造行道面(県指定文化財)
- 木造鬼面(県指定文化財)― 鎌倉時代
- 「淨土堂」扁額
- 浄土堂旧板壁
[編集] 所在地
- 〒675-1317 兵庫県小野市浄谷町2094