河野鷹思
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河野鷹思(こうの・たかし、本名・河野孝;1906年3月21日 - 1999年3月23日)は、グラフィックデザイナー、エディトリアルデザイナー。日本における草分けの1人。
東京生まれ。1929年に東京美術学校(現・東京藝術大学)図案科卒業。
松竹の宣伝部に入り、その後、ポスター、舞台美術、衣裳(コスチューム)、パッケージ、ディスプレイ、(屋外の)サインなど、幅広いデザインをこなした。
名取洋之助の日本工房にも参加し、雑誌NIPPONのレイアウト、グラフィックデザイン等も担当した。
戦後は、日宣美(日本宣伝美術会)にも参加。デザイン界の重鎮として活躍を続けた。
企業のロゴマークの制作も行う。例えば、旧第一勧業銀行のハート(赤地に白のハート)のロゴマークは、河野の作品である。
愛知県立芸術大学では1966年から教授に就任し、84年から89年まで学長を務めた。1989年愛知県立芸術大学名誉教授。
1999年永眠、享年93歳。
[編集] 主要文献
- 青春図會―河野鷹思初期作品集(川畑直道編、トランスアート、2000年)(紹介)
[編集] 主要展覧会
- 河野鷹思のグラフィック・デザイン 都会とユーモア(東京国立近代美術館・2階ギャラリー4、2005年1月12日から2月27日まで)(紹介)
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