池田知正
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池田 知正(いけだ ともまさ、天文18年(1544年) - 慶長8年(1603年))は摂津国の国人。
[編集] 出生
摂津国の有力国人である池田長正の次男として生まれた。兄に池田勝正がいる。
[編集] 人生
1568年、織田信長が上洛してくると三好氏に属して兄の勝正とともに織田軍に抵抗したが、後に降伏して信長の家臣となった。1570年、池田氏内部で内紛が起こり、それによって当主であった兄の勝正が出奔したため、家督を相続することとなる。1571年には三好三人衆と通じて信長を裏切り、和田惟政を敗死させた。
しかし摂津国が完全に信長の支配に入ると、知正は信長に再び降伏し、摂津国の領主となった荒木村重の家臣となる。1580年、村重が信長に反逆して自滅した後は羽柴秀吉の家臣となる。そして秀吉に従って小牧・長久手の戦いや九州征伐に従軍した。
秀吉の死後は徳川家康の家臣となり、5000石を領したという。
[編集] 知正死後の池田氏
知正の死後、家督は子の池田重信が継いだが、幕命によって改易されたという。