毛利斉房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
毛利 斉房(もうり なりふさ、天明2年11月20日(1782年12月24日) - 文化6年2月14日(1809年3月29日))は、長州藩の第10代藩主。父は第9代藩主・毛利治親(斉房は長男)。母は小泉氏(明善院)。正室は有栖川宮織仁親王の娘・貞操院。側室に山田氏(芳春院)。官位は従四位下、侍従。
1782年11月20日、江戸で生まれる。幼名は義二郎。1791年、父の死去により後を継ぐ。1795年8月、将軍の徳川家斉から一字をもらって斉房と名乗り、叙任する。1800年からは藩財政再建のために10ヵ年の倹約を行ない、さらに伊能忠敬に周防・長門の測量を行なわせて海防の強化に務めるなどしたが、1809年2月14日に28歳で江戸にて若死にした。跡を弟の毛利斉熙が継いだ。法号:靖恭院。墓所:萩市椿東の東光寺。
- 毛利氏歴代(長州藩10代)当主
- 1791~1809
-
- 先代:
- 毛利治親
- 次代:
- 毛利斉熙