椿三十郎
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椿三十郎 |
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監督 | 黒澤明 |
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製作 | 田中友幸 菊島隆三 |
脚本 | 黒澤明 菊島隆三 小国英雄 |
音楽 | 佐藤勝 |
撮影 | 小泉福造 斉藤孝雄 |
公開 | 1962年1月1日 |
上映時間 | 96分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
allcinema | |
IMDb | |
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『椿三十郎』(つばきさんじゅうろう)は、1962年1月1日に公開された黒澤明監督の時代劇映画。
前年公開された『用心棒』の続編的作品(厳密には続編ではない)。モノクロ映画。
目次 |
[編集] 概要
この作品は元々、かつて黒澤組のチーフ助監督であった堀川弘通の監督作品として黒澤が執筆した、山本周五郎原作の『日々平安』の脚本がベースになっている。『日々平安』は原作に比較的忠実に、気弱で腕もない主人公による殺陣のない時代劇としてシナリオ化されたが、東宝側が難色を示したため、この企画は実現しなかった。その後、『用心棒』の興行的成功から、「『用心棒』の続編製作を」と東宝から依頼された黒澤は、陽の目を見ずに眠っていた『日々平安』のシナリオを大幅に改変し、主役を腕の立つ三十郎に置き換えて『椿三十郎』としてシナリオ化した(共同執筆は小国英雄と菊島隆三)。なお、黒澤は『日々平安』の主役にはフランキー堺か小林桂樹を想定しており、『椿三十郎』で小林が演じた侍の人物像には『日々平安』の主人公のイメージが残っている。
なお厳密には続編ではないといいながらも、『用心棒』の三十郎と人物像や着物が一緒であることに加え、『日々平安』に前作の終わりと同様、今作の冒頭から刀を一本しか持っていない(普通、侍は刀を二本携帯している。前作では最初は三十郎も二本持っていたが、途中から一本になる)などを見るとやはり『用心棒』の後日談とも見られる点もある。だが逆に両者の時代設定は『椿三十郎』の方が前であり、またかなり前の時代と思われることから、同じ人物を使った別の映画という解釈もできる。また、三十郎以外の人物はすべて前作とは違う。
ラストの血が噴き出す手法が用いられた、三船と仲代の決闘シーンは日本映画史に残る名シーンとなった。ポンプを使った出血シーン自体は、すでに『用心棒』で使われたものだが、夜間シーンで画面が暗いことと出血量も少ないため地味なため目立たず、それゆえ『椿三十郎』が殺陣において最初にこの方法を採用した映画と誤解されている事も多い。
[編集] あらすじ
真夜中の森の中。朽ちた社殿に人目を避けるように若侍たちが集まり密談をしている。一人の若者が仲間に語りかける。「次席家老の汚職を城代家老の睦田に告げたが意見書を破られ相手にされなかった」。失望の色を浮かべる青年たち。だが「大目付の菊井に話してみると『共に立とう』と答えてくれた」と続けると一転して場は喜びに沸く。この脳天気に気勢を上げる若者たちの前に奥の部屋からアクビをしながら流れ者の浪人・椿三十郎(三船敏郎)が現れる。謀議を聞かれたと緊張する一同にどこ吹く風の三十郎はニヤニヤしながら「岡目八目、菊井のほうこそ危ない」と独りごちる。やはり菊井は悪者の仲間であり、その手勢に社殿が取り囲まれるも三十郎の機転により若者たちは虎口を脱する。自分たちの甘さを後悔する一同だが、あくまで信念を曲げず命がけで巨悪にたち向かおうとする。頭の固い連中に一旦は匙を投げた三十郎だが「死ぬも生きるも九人一緒だ」の悲壮の声を聞くと思わず「十人だっ。お前たちはどうもあぶなっかしくていけねえ」と怒鳴りあげ修羅場に乗り込むこととなる・・・。
[編集] キャスト
- 三船敏郎(椿三十郎)
- 仲代達矢(室戸半兵衛)
- 小林桂樹(見張りの侍木村)
- 加山雄三(井坂)
- 団令子(千鳥)
- 志村喬(黒藤・次席家老)
- 藤原釜足(竹林)
- 入江たか子(睦田夫人)
- 清水将夫(菊井・大目付)
- 伊藤雄之助(睦田・城代家老)
- 久保明(守島兄)
- 土屋嘉男(広瀬)
- 田中邦衛(保川)
- 平田昭彦(寺田)
[編集] 備考
この映画以降、殺傷等で血が噴出す演出は当たり前になった。