森浩之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森 浩之(もり ひろゆき、1965年2月4日 - )は、南海ホークスに所属していた元プロ野球選手(捕手)。1991年から1997年の登録名は、広之。現在は、福岡ソフトバンクホークスのブルペン担当。
[編集] 略歴
- 身長/体重:177cm/83kg
- 投打:右投右打
- 出身地:大阪府
- 球歴・入団経緯:PL学園高-東洋大-南海・ダイエー・ソフトバンクホークス(1987年 - 1991年引退、1993年-)
- プロ入り年度/ドラフト順位:1986年/2位
- 背番号:22(1987年-1989年)-63(1990年)-46(1991年)-99(1993年-)
- 守備位置:捕手
[編集] 来歴
PL学園では、1981年秋から正捕手。高校時代の森はあまり注目された選手ではなく、打順も6番だった。
2年秋の府予選の決勝で公立の桜宮高に敗れるまで無敗を続け、続く近畿地区大会でも準決勝まで勝ち上がった。
1982年のセンバツでは、榎田健一郎ら好投手を擁して優勝を飾る。昭和5・6年の第一神港商以来52年ぶり、戦後では初となる春連覇を達成した。決勝戦は、二松学舎大学附属高等学校に15対2と大勝。その試合のPLの15点はセンバツ決勝戦の最多得点記録であり、13点差は最多得点差、両チーム合計17点も最多得点記録であった。
夏の県予選では、準々決勝で敗退。
東洋大学に進学。2年生時、巧みなリードと強肩に加え、打撃でも一皮剥け、春の東都リーグでベストナイン、秋には打撃ベストテン入り。3年生の春のリーグでもベストナイン、6月の全日本大学野球選手権大会では準優勝、7月の日米大学野球選手権大会でも3試合に先発した。
主将になった4年生の春には東洋大を優勝に導き、MVPとベストナインを獲得した。6月には大学野球選手権で優勝、自身も打率.368で6打点と大活躍をした。7月の日米大学野球、世界アマ野球には、全日本の主将を務めた。
大学4年のリーグ戦終了後、南海がドラフト2位指名してプロ入り。
1989年にようやく初安打を放つ。しかし自身の打力不足に加え、吉永幸一郎らの台頭などもあって、1991年に自由契約となり、プロ5年で引退。
その後チームスタッフとなり、1993年からはブルペン担当。現在に至る。ホークス戦のテレビ中継では、先発投手のブルペンでの調子についてコメントを出すことがある。
妻は、三田明の妹。
PL中学からの進学組である。PL中学から進学し、プロまで進んだ選手として、他には金森栄治、山中潔がいる。
[編集] 通算成績
5年 28試合 37打数 4安 6点 2本 0盗 率.108