柳生博
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柳生博(やぎゅう ひろし、1937年1月7日 - )は、日本の俳優、司会者である。雑木林を利用した作庭家としても活動している。 2004年4月17日からは「日本野鳥の会」の第5代会長職にある。剣豪として有名な柳生一族の末裔である。身長175cm。
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[編集] 人物
茨城県土浦市生まれ。茨城県立土浦第一高等学校卒業後、船員を目指して東京商船大学(後の東京海洋大学)に入学するも体調を崩して大学を中退。その後、役者を志して劇団俳優座の養成所へ入り、俳優となる。39歳のとき、NHKの朝の連続テレビ小説「いちばん星」に野口雨情役で出演し、テレビ俳優としての地位を確立する。
司会者としては1981年~1993年の12年間、テレビ朝日系クイズバラエティ100万円クイズハンターの司会を務めた。また、ナレーターとしてNHK生きもの地球紀行のナレーションを長く担当した。
1970年代末に、山梨県大泉村(現・北杜市大泉町)に居を構える。1989年に、大泉村西井出・西沢の森に、パブリックスペースとして、ギャラリー・レストラン八ヶ岳倶楽部を開設した。
近隣の手入れの不十分な人工林から貰い受けた各種の樹木を、自宅や八ヶ岳倶楽部敷地に植林し再生している。その数は柳生によれば[1]あわせて一万本以上になる。
現在も大泉に生活の本拠を持ち、芸能活動の傍ら、作庭活動、講演、八ヶ岳倶楽部の運営、日本野鳥の会の会長職等を行っている。
[編集] 作庭家としての活動
柳生は、山梨県北杜市大泉町に居を構え、生活の拠点としている。大泉町に転居した当時から、作庭活動を開始。雑木林を中心とした作庭で、庭・家・林・駐車スペースなどのあり方に独自の視点を持つ。囲炉裏を据え、枕木などを活用するその作庭技術には、定評がある。この活動は、柳生博著『森と暮らす森に学ぶ』(講談社)、生和寛著『風景を作る人 柳生博』(辰巳出版)等に詳しい。
[編集] 八ヶ岳倶楽部
北杜市大泉町にギャラリー・レストラン・園芸用品ショップである「八ヶ岳倶楽部」を開設している。建物、雑木林、囲炉裏、枕木を利用した散策路などの設計、作庭は、柳生博及び真吾ら家族の手によるものである。柳生自身は、時間があるときには八ヶ岳倶楽部のレストランによく顔を出し、談笑する姿が見られる。
[編集] 主な出演番組
- ザ・ガードマン第88話「赤い標的」(1966年、大映テレビ室・TBS)
- 飛び出せ!青春(1972年 - 1973年、東宝・日本テレビ) - 塚本先生役
- 非情のライセンス(第3シリーズ、東映・NET(現:テレビ朝日))
- 剣客商売(1973年、東宝・俳優座・フジテレビ) - 6話「まゆ墨の金ちゃん」
- 太陽にほえろ(1973年、東宝・日本テレビ) - 62話「プロフェッショナル」
- 俺たちの勲章(1975年、東宝・日本テレビ) - 宮本(コンピューター室長)役
- 円盤戦争バンキッド(1976年 - 1977年、東宝)
- すばらしい味の世界(1977年 - 、テレビ東京) - 司会
- がんばれ!レッドビッキーズ(1978年、テレビ朝日)
- 100万円クイズハンター(1981年 - 1993年、テレビ朝日)- 司会
- DOサタデー(1982年 - 、関西テレビ) - 司会
- クイズ面白ゼミナール(NHK) - セミレギュラー回答者
- エプロンおばさん(1983年、フジテレビ)
- 誇りの報酬(1985年 - 1986年、日本テレビ) - 田沼・警視庁捜査一課長役
- ノンちゃんの夢(NHK朝の連続テレビ小説)
- 平成教育委員会(フジテレビ) - レギュラー回答者
- 生きもの地球紀行(1992年 - 、NHK) - ナレーション
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[編集] 著書
- 森と暮らす森に学ぶ(講談社)ISBN 4-06-206722-6
- 花鳥風月の里山 柳生博の庭園作法(講談社)ISBN 4-06-179564-3
[編集] 注釈
- ↑ "『森と暮らす森に学ぶ』(柳生博著。講談社)による。