松岡磐吉
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松岡磐吉(まつおか ばんきち、生年不明-明治4年(1871年)は、幕末期の幕臣で箱館戦争時に旧幕府軍艦蟠竜丸の艦長を勤めた人物。長崎海軍伝習所生。 なお、名前の「磐吉」は、「いわきち」と読むこともある。
元々は江川英竜の家士。咸臨丸に乗船して渡米したことがある。甲鉄艦奪取作戦(宮古湾海戦)に参加。箱館湾海戦では旧幕府海軍の中でその時唯一軍艦の機能を果たしていた蟠竜丸の指揮を執り、明治2年(1869年)5月11日の箱館総攻撃では、圧倒的な兵力差にも関わらず新政府軍艦朝陽丸の火薬庫に砲撃を命中させて轟沈せしめた。その後、新政府軍艦から集中砲火をあび、蟠竜丸が浅瀬に乗り上げてしまったため、松岡ら乗組員は七重浜に上陸して本陣五稜郭へ撤退。同年5月18日には箱館政権(蝦夷共和国)総裁榎本武揚らと共に降伏。東京の辰の口牢獄に送られ、赦免数ヶ月前にして獄中で死亡した。
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